前線医療

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前線医療front-line medicine
 幸いにして我国は第二次大戦以来戦闘行為に巻き込まれなかったが、逆に医学的には戦傷医学の経験や知識が乏しいと言わざるを得ない。米国では戦傷で死亡した兵士の約90%は医療施設に到着する以前に死亡していたことから、combat medics(陸軍の衛生兵)、corpsmen(海軍の衛生兵)、PJs(pararescuemen空軍の衛生兵)による戦場での外傷処置の重要性に光を当て、TCCCC(Tactical Combat Casualty Care )ガイドラインに沿った戦場での医療行為が行われている。
 我国における戦傷医学の始まりは、明治10年(1877)の西南戦争時に佐野常民(さのつねたみ)・大給恒(おぎゅうゆずる)等が中心となり、傷病者救護を目的として組織された博愛社と思われる。日本赤十字社のHPによれば(http://www.jrc.or.jp/about/history/)、戦傷医学は日常の医学とは異なっているということに対する理解が得られず、必ずしも順調満帆ではなかったらしい。政府に対して救護団体博愛社の設立を願い出たが、当初この願いは認められず、その理由は、『このような考えは素晴らしいことではあるが、現地には救護に必要な医師等は派遣しており、医療は足りている。今、新しい組織を作って戦地に送れば、混乱をきたす。欧州では国家間の戦争の際に組織(赤十字)を作って救護することは知っているが、このたびの内戦にまで適用されるものなのかどうかは分からない。このような組織の創設は、平和な時に十分時間をかけて検討すべき。』ということだった。しかしながら、戦場ではおびただしい数の負傷兵が手当てもされず放置され、博愛社の設立を急いだ佐野は、征討総督有栖川宮熾仁親王に直接、博愛社設立の趣意書を差し出すことに意を決し、1877年5月、熊本の司令部に願い出、有栖川宮熾仁親王が英断をもってこの博愛社の活動を許可した。
 勿論、佐野常民等の人道主義は重要なことであるが、戦闘行為自体の是非とは無関係に戦傷を医学において学問的に追及する上でも通常医療と戦傷医療の橋渡し研究は必要不可欠である

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