医療は『安全・安心の象徴』であるが故に、それが崩れるような発言を敢えて慎しみ、いくらかでも安心を与えるような発言をすることも新型コロナウィルス感染症対策には重要と思われる

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 最近、医療界の高位な方々から、政府の新型コロナウィルス感染症対策に対して厳しい意見が報道されている。確かに、新型コロナウィルス最前線において日夜戦っている医療職の切なる思いからの発言であること重々理解はしている。

 しかし、一方で、医療は安全・安心の象徴であり、ことさらの不安を煽ってしまう危険性も含んでいることを忘れて欲しくはない。5月6日の私のブログの中でも『 『命が大事か、経済が大事か』という二者択一を迫る政治家が派手なパフォーマンスを繰り返しているが、実際には白黒とはっきり決着をつけられるものではない。むしろ、両者を協調させ対応していくことが望まれており、我国の専門家委員会もそうあるべきである。 』と、敢えて苦言を呈した。

 医療は社会とともに進化する科学であり、社会の必要とするものとの調和も必要である。そう遠くない昔は結核が主たる病であったものが、今は癌が主たる病となり、社会が必要とした、あるいは、望む医療を時代時代において提供し乗り越えてきたはずである。いずれもが、その時代にはその病の危機を叫ぶ一方、社会との調和も図ってきた結果今の繁栄がある。新型コロナウィルス対策が医学的な側面のみから成功したとしても、それは必ずしも社会的な価値観につながらず社会自体が崩壊してしまう可能性もある。

 今回の新型コロナウィルス感染症対応は未知なるウィルスへの対応(従前のコロナウィルスの治験が必ずしも当てはまらない)であり、客観性を持つ判断ではなく主観性を持つ決断が必要とされる。このような対策・対応をしたらこのような効果が生じる『期待効用論』上からの最適な選択がそもそも不可能な事案である。組織論から言えば、 bounded rationality(限定合理性;合理的であろうとするがその合理性には限界がある)の中で責任のある政治家が決断せざるを得ない状況であり、その決断(正しいか正しくないかはその時点では評価が不能)を促すために正確な情報を迅速に伝えることが周囲の役目である。

 医療という一側面だけから見た総理の対策は医療最前線に立つ医療職には稚拙と思われるであろうが、それだけを持って、総理の決断がお粗末とは言い難い。医療職の声に耳を貸さないのであればその罪は重いが、声を聴いた上での決断だとしたら、その決断に従うことも重要である。総理は日本丸の舵取りをする船長であり、我々は嫌でもその船に乗っているのだから。

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