オリンピック開催・中止論はもはや菅総理・小池都知事のパフォーマンス劇場

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 オリンピック中止に関して、二階自民党幹事長小池都知事から中止論や再延期論が出始めてきた。さらに政府寄りの発言の目立っていた尾身政府コロナ分科会会長も議論すべき時期に来ている、とここにきてようやく言い出した。『人類が新型コロナウィルスに打ち勝ったという証』という標語を掲げ、オリンピック遂行に政治生命をかけている菅総理とあまりにも対照的である。

 とどまらない感染の蔓延は医療の逼迫だけではなく、全体主義が個人主義を駆逐するような勢いで個人の自由を束縛しても構わないような法律改正を推し進めている。オリンピックの意義を認めている一方で、誰もがこの現状を考えれば、オリンピックに浮かれている状況ではないし、また、オリンピックのために医療資源を含めた社会資源を投入すべき状況ではないことは分かり切っている。

 また、『新型ウィルスに打ち勝った証』という標語も学問的には小首(頭)をかしげるしかない。1980年に世界保健機構が天然痘撲滅宣を天然痘ウィルスに対して出せただけで、人類は未だにウィルスを含めた多くの微生物と戦い続けている状態である。人類は、未だにウィルスには打ち勝てるような状況ではないし、打ち勝つよりも共生を図る方が医学的には正しい場合もある。

 オリンピックの開催論・中止論は、もはやオリンピックの理念や日本国国民のためではなく、正に政治家個人のパフォーマンス劇場に成り下がってしまっている。どちらが正しいか、あるいは、国民のためか、ではなく、どちらの政治パフォーマンスが今後の政局を担えるかの問題にすり替わっている。開催した場合の菅総理、開催中止をもくろむ小池都知事の政治ショーを毎日のように見せられている我々はただただ政治不信が増すばかりである。日本に大志を抱いた真の政治家がいなくなってしまったことがオリンピック開催の是非の迷走の主因と考えられる。

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