自衛隊は本当に軍隊として機能するのか?

 2022年6月22日に「航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市)は20日、基地幹部食堂において、1食分に相当するパン2個を不正に取得したとして50代の1等空尉を停職3日間の懲戒処分にした。」という記事を目にした。この記事の中で当人は「「米を半分に減らしたため、パンを取っても問題ないと思った。認識不足だった」と話しているという。」と言っているという。

 恐らく、一般人から見れば、1食分に相当するパン2個の不正取得が停職3日間に値する処分としては、重過ぎると思う方々が多いと思われる。確かに当人が一般人であれば、重過ぎると私も思う。

 しかし、彼は自衛隊員である。まして、今現在、憲法改正までして自衛隊を軍隊として認めて行こうとする動きもある。軍隊においては規律・規則は組織としての根幹をなすものであり、命令や規則には絶対服従が当たり前である。兵站が乏しい時には食糧さえ我慢せざるを得ないし、また、敵兵を撃ち殺すという倫理観からは認められない行動もせざるを得ない組織である以上、規則や命令を遵守しなければ戦闘や戦争には勝てない。その一員たろうしている自衛隊員の中に「規則を守る」という当たり前の行動規範が出来ていない隊員がいること自体大きな問題である。どんな些細な規則であっても、それを守るという意識すらない自衛隊員は軍隊とはなり得ない。

寒冷期や寒冷地の乗船には浸水低体温症対策は必須:救命胴衣などの溺水対策だけではなく、浸水低体温症対策のHELPやHuddle Postureの乗船前教育の徹底が重要

 『知床沖は「水温1桁」、救命胴衣着ても体温低下…水中で低体温症は「溺れる可能性高い」』というタイトルの記事の中に、『低体温症に詳しい帝京大病院(東京)の三宅康史・高度救命救急センター長は「急激に体温が奪われれば、筋肉が動かなくなり、脳の活動は衰え、心拍も徐々に減ってくる。もし水中で低体温症となれば、溺れる可能性も高くなる」と話す。三宅センター長は「救命胴衣を着ていても体温は奪われ、意識がなくなれば顔を上げ続けることは難しくなる」と語った。』とあった。正にその通りである。寒冷地や寒冷期の乗船には溺水対策は勿論、浸水低体温症対策も必須である。

 Immersion hypothermia(浸水低体温)は通常水温25℃以下で生じる。水の熱放散能力は空気の25倍以上であるため、水中ではより急速に低体温になる。冷水の中で持続的に体を動かすこと(暖を取るため泳ぐなどの運動)は、かえって身体の周囲の冷水の対流による熱損失を増やし、結局はさらに悪化し、より早く低体温症に陥る。冷水の中での低体温症の発生を少なくするために、heat escape lessening posture(HELP:単独の場合)、huddle position(多数の浸水者がいる場合、皆で縮こまる)が推奨されている。Environmental Trauma I : Heat and Cold. Prehospital Trauma Life Support 2021:581-628の挿絵を紹介する。

北海道の遊覧船事情などでは、救命道具装着等の安全ばかりではなく、浸水低体温予防策も乗船の前に徹底すべきであろう。

浸水低体温症で死に至る身体の反応や機転には4つの過程が存在し、『1-10-1』の原則が関与する。

①最初の浸水と低温ショック反応:犠牲者は自分の呼吸を1分間コントロールできる

②短時間の浸水と動きの消失:犠牲者は10分間水から出ようと意味のある動きをする

③長時間の浸水と低体温症発生:犠牲者は低体温症になり意識を失うまでに1時間

④救助の前、中、後、周囲による救助は失敗する。前の3つの過程を生き残れば、犠牲者の20%までが救出の間、この失敗を経験するであろう。

『1-10-1』によれば、浸水では1時間以内の救助が望ましい。

ロシアのウクライナ侵攻における一方的な報道で『ロシアが極悪非道でウクライナが正義』というステレオタイプに陥っていないか?

「倫理観は普遍的なものではない」ということを改めて考える必要がある。

 精神科の和田秀樹先生の「「プーチン=極悪非道、ゼレンスキー=正義の味方」そんな安直な思考が見落とす重要事実」という記事を読んだ。「・・・ロシア制裁の最先端にいるアメリカにしても、必ずしも、ロシア=悪、ウクライナ=正義という図式にはなっていないようだ。・・・社会心理学の立場から考えると、自分が正義の味方で、許せない敵がいると考えているときは、集団的浅慮という判断に陥りやすいとされる。人間というのは、自分が正義と思うと残酷なことにも痛みを感じられなくなる。あのナチスですら、自分たちが正義と思っていたのだ。北朝鮮の飢えた子どもの映像をみても、悪い国の人間だから当然だと感じたり、ウクライナ兵にロシアの若い兵士が殺されても同情の心が起こらなかったりしたら、それはちょっと危険な状態だと私は思う。 一般大衆が偏った判断をしても、外交に影響はないように思うかもしれないが、民主主義国では民意は無視できない。少なくとも、ふだんの人間関係では、自分が「正義の味方症候群」に陥っていないかという自省をウクライナ情勢を機に身に付けたいものだ。」全く同感である。ほとんどの日本人は現時点で 「ロシアは極悪非道、ウクライナは正義」というステロタイプに陥り、偏向報道により偏った正義観に踊らされていると思われる。

 伝えられる報道のほとんどは「ロシアが極悪非道、ウクライナが正義」というスタンス一方であるが、しかし、どんな事態にも、双方に非があるはずである。連日のように、ロシア軍による民間人の殺戮や拷問の数々が報道される。これらをフェイクニュースと思ってる訳ではない。戦争そのものを憂いでいる。

 戦争とは狂気の世界である。「人を殺してはいけない」という当たり前のことが「当たり前ではない」のである。「倫理観は必ずしもフリーサイズではない」と言われるように、倫理観は宗教、文化、状況などに応じて変わるもので、普遍的なものではない。医師の倫理観にしても、軍医の倫理観では、例えば、敵兵と味方兵が負傷した場合に平常時と同様に緊急度・重症度に従って診療するか?、という問題さえ生じる。平常時の人間から異常時に置かれた人間の倫理観を慮ることには所詮無理がある。極限状態では、どんな人間でも自分の命を守るためには異常な行動に出る可能性は否定できない。また、日常的に正常に置かれた人間の倫理観の尺度から、この行動をとった個人自体の倫理観を論じてられるものではない。むしろ、正常時に正常な倫理観を持つ者がその状況に至った経過や原因を探求すべきである。

 市街戦になれば、イラク・アフガンの経験からも市民と民兵の区別がつかず(これを逆手に取って利用した側面も否定できないが)、極限の兵士は自分の命を守るため、確認する手間も無く攻撃するため、市民の犠牲が増加する。また、市街戦を避け、ミサイル攻撃などの攻撃になれば、兵士の負傷は少なくなるが市民の負傷は増加する。今回のウクライナの市民の負傷者の増加は、ロシアの戦術として味方の犠牲を少なくするため可能な限り市街戦を避け、ミサイル攻撃などで戦い、市街戦では如何に負傷兵を少なくするか、という戦術に従った結果ともいえる。 すなわち、戦争とは勝つためには、市民の負傷などよりも戦果を求めるもので、ロシアはこれに従っただけとも言える。今回著しい批判を展開している米国でさえ、ベトナム戦争時に「正義」であったとは言えないはずである。決して、ロシアの弁護をしている訳ではなく、戦争というものの本質を述べているだけである。戦争自体の残酷さや悲惨さではなく、何故、戦争に至ったのかの理由や経過、何故止めれなかったのか、などの冷静な分析が望まれる。

 今回のウクライナだけではなく、今までもベトナム戦争など多くの戦争が世界中で起こってきたが、その都度、イデオロギーの正義だけが問われ、戦争自体の原因・経過、予防策などの分析検討を行ってこなかった政治家が、今回も同じようなことを繰り返して、自身の政治活動に利用している、と思うの必ずしも妄想とは思えない。世の中に一方的な正義はないはずだから。

「防弾チョッキ」だけでは被弾から救えない:戦闘を後方から支える本質的な医療支援を行うべき。

 日本政府がウクライナに「防弾チョッキ」を提供するという報道があった。一般人には、「防弾チョッキ」を着用していれば大丈夫という誤った認識があるので、今回は「防弾チョッキ」を着用し被弾した時の防護服(防弾チョッキ)背面鈍的外傷(BABT:behind armour blunt trauma)について説明する。詳細はMilitary injury biomechanics : the cause and prevention of impact injuries. CRC Press New York 2017を参照されたい。

 防護服には爆風の榴散弾や低速度・低エネルギー銃弾(9mm)に対して設計されたソフト型と7.62mmと12.7mmのライフルのような高速度に対するハード型がある。最近の防護服は(銃弾を弾き飛ばすことはなく)侵入するピストルやライフルの弾に負け、そのエネルギーや運動量を防護服の変形に変えること(エネルギーや運動量を吸収する)で身体を防護する。防護服の背面変形(BFD:backface deformation)はソフト型の防護服では直接的な変形、ハード型では折れて変形するため、防護服の背面の胸部・腹部に鈍的外傷を惹き起こす。この損傷をBABTと呼んでいる。

 胸部に被弾した時は防護服の背面変形と同様に胸部を通るストレス波の伝播により、BFDは局所あるいは遠位の骨折、挫傷、出血を起こす。BABTは被弾した部位から遠位の臓器や器官、例えば、脳、心臓、脊髄神経、腸管、にも重篤な損傷を生じる可能性がある。BFDによる損傷は防護服のタイプや形態により異なり、各国、各機関で研究されている。小火器や榴散弾の脅威のために設計され発売されたセラミック防護服の失敗に起因した米兵の死亡は無かったことを2014年の米軍の報告では強調した。これに基づき、米軍では戦闘中の兵士の適切な生存率を持つハード型の防護服を配置した。一方、法執行における公開された数少ない報告ではザイロン防護服の悲惨な失敗がある。ザイロン防護服に関しては東洋紡績が関与していたとの報告がある。

 BFDによる外傷に関しては、Mirzeabassov等の研究公開されている有効な最も重要な疫学であるので、彼らによる外傷の程度と性質を示す。

 外傷の程度と戦闘復帰に関しては次のようにまとめてある。

 しかしながら、この疫学的データの理解には、同時に当時のソビエトの軍医療サービスの詳細を知ることが重要である。①アフガニスタンのソビエトの経験から、拡大したデータ解析が9名の外傷犠牲者から得られた。②90%以上が航空後送で、たった4%が中央軍事病院(Central Military Hospital)に6時間以内に搬送された。 ③負傷者の80%以上が初期治療を受けた。 ④重症外傷の分布は受傷から治療で変化し、治療までの時間の増加は外傷の重症度を悪化させ、また、病院に着くまでに死亡するため重傷者が減少した。 ⑤より重症なBABTは中央軍事病院に到着する前に死亡する著しいリスクがあると推測される。 ⑥これはしっかり記載された防護服と関連する公開された有効なABTの包括的疫学の単一の例である。 ⑦外傷治療はソビエトと西欧軍隊とは著しい相違があり、損傷分配も変わる。

 つまりは、後方支援である戦傷医療体制がしっかり確立されていないと、防護服の機能は十分生かされない。ウクライナの防護服を送ることを否定はしないが、ウクライナの現状を考えれば、防護服の機能は十分果たせるとは考え難い。防護服よりも本質的な医療体制を支援することがより重要である。

ロシアのウクライナへの軍事侵攻は台湾有事が近い将来の現実になることの証

 2022年2月24日ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まった。結果として、米国も含めたG7は全く無力であることを世界中に示してしまったことは非常に大きな意味を持つ。岸田総理を含めた内閣閣僚や閣僚達が韓国の暴挙・横暴に対して「遺憾に思う」という実効性を伴わない口先の主張を繰り返していると同じように、今回のバイデン米国大統領は実効性の薄い「経済制裁をやるぞ、追加制裁も加えるぞ」とただ口先で騒いでいるだけであった。

 口先だけの空回りの議論ばかりのバイデン大統領は「どうせ何もできないだろう」とをプーチン大統領から見切られてしまった。勝ち負けの問題ではないが、誰が見ても、口先だけで騒いでいるバイデン大統領よりも、トランプ前大統領の指摘通り、プーチン大統領の勝ちである。外見で決まる話ではないが、パフォーマンスの側面から見れば、TVを見ていても毅然としてるプーチン大統領にはオーラがあるが、バイデン大統領はしょぼくれた老人としか映らない。

 ロシアの勝手な軍事行動を誰もが止められなかったこと、もっと言えば、米国にはもはや「世界の警察官」としての抑止力がなくなったことが我国にとっては喫緊の課題である。台湾有事が叫ばれている昨今、北京オリンピック後に台湾進攻が起こるとの報道が散見された。中国は台湾は元々自国の領土であり台湾問題は国内問題と主張してきたので、中国が台湾に侵攻したとしても中国は国内問題として扱うであろうし、今回の件を見ていても恐らく世界中が中国を止めることは不可能と推測される。日本は米国追従一辺倒の流れからも台湾有事は日本の問題と主張するなら大きな犠牲の覚悟を決める時でもある。そのためには、実際に戦える能力を持つべきであろうが、しかし、医療職の目線から戦闘能力を支えるであろう自衛隊の戦傷者の治療能力をみても、今の自衛隊に実践能力はあるとは言えない。

 平常時のリーダー像と不安定・非常時のリーダー像は異なっており、現状の岸田総理は調整型の平常時のリーダーであり、不安定・非常時のリーダーのような強いリーダーシップには欠ける。今の時代を平常時と考えるか、不安定・非常時と考えるか、は我々国民の意識であるが、少なくとも現状では台湾有事には日本は何もできないだろうし、頼りの米国も当てにはならないと考えられる。

また繰り返された空自の訓練中の事故。客観的な評価に耐え得る事後検証と方針が必要。

 2022年1月31日F35戦闘機が消息を絶ったという報道があった。

 2019年4月9日の訓練中のF35a墜落に関して、2019年4月10日と2019年6月14日の当ブログにおいて、空自の「空間失調」という安易な事後検証に警鐘を鳴らしてきた。さらに、2021年2月20日に起こった米国訓練中のF35墜落に関しても相も変わらず、「今後とも訓練の安全に万全を期す」という同じ言葉の繰り返した。これに対しても2021年2月22日のブログでも客観的な評価に耐え得る事後検証と今後の方針を打ち出すべきと指摘してきた。

 空自だけではなく、海自に関しても2021年2月9日潜水艦と貨物船衝突事故に関して、2021年5月7日のブログで、同じように事後検証の客観性を訴えてきたが、全体としては真摯な学問的対応が発表されることもなく、「馬耳東風」「馬の耳に念仏」を思わせる対応であった。自衛隊という組織は国防という観点から秘密保持という面があることはやむを得ないとしても、自分達だけで事後検証が出来るような実力や能力が備わっているのであろうか?彼らの能力や実力から推測するに、守秘義務という名の下に、市井の学問的な評価に耐え得る事後検証を行うこと避けているような気がする。

 今日、石原慎太郎氏の訃報が報じられたが、彼ほど日本の国防に関して、自衛隊を憂いでいた人物はなく、自衛隊だけではなく国家としても大きな損失であると思われる。心から、ご冥福を祈る。

敵基地攻撃能力の保有の目的は「抑止」ではなく、「抑止力」を持つこと

 敵基地攻撃能力についは、国会議員や専門家の一部から「今の時代は発射台付き車両(TEL)からミサイルを射出するわけで、動かない基地を攻撃したところで抑止できるのか?」と問題提起されている。Preparing for the future of combat casualty careによれば、仮想敵国であるロシア、中国、北朝鮮、イランの長距離精密ミサイルは想像以上に高性能であり、発射されれば甚大な被害が及ぶことは周知であり、しかも100%の迎撃は困難とされている。従って、我国が敵基地攻撃能力を持ったとしても実際にミサイルが発射されれば「抑止」することは困難であり、「抑止」を求めて敵基地攻撃能力を整備しても十分な効果は得られないのは当然である。

 敵基地攻撃能力を持つ最大の意義は敵の攻撃の「抑止」ではなく、敵にミサイルを撃たせないように敵と同等以上の攻撃力を持つことにより敵に攻撃を思い留まらせる「抑止力」を持つことである。防衛を論じる際には「抑止すること」と「抑止力を持つこと」とは区別して語る必要である。一部の議員や専門家は「抑止」することと「抑止力」を持つことを区別しないでの発言が目立ち、結果として国民に混乱をもたらせている。

 抑止力には攻撃的抑止力と防衛的抑止力がある。しかし、我国は憲法により現状では防衛的抑止力(積極的防衛・受動的防衛)しか整備されていない。新たに我国が従来認められていない攻撃的抑止力を持つとするなら、最近の混沌とした世界情勢の中で従来の路線上の防衛的抑止力では対応しきれない想定が現実化する可能性が著しく高くなってきた結果、攻撃的抑止力の必要性が生まれてきたということを多くの国民に知らせ理解を得た上で納得してもらう必要がある。

 さらに敵基地攻撃能力を持てば敵のミサイル攻撃対象目標になることは周知である。敵のミサイルは一旦発射されればその破壊力の結果、敵の攻撃の対象となる敵基地攻撃能力を持つ基地周辺は人・物・制度・組織・機関などが著しい破壊を受け、機能が低下し、作業が制限された状況、すなわち、 Preparing for the future of combat casualty careに記載されている CDO( contested, degraded, or operationally limited )環境に陥る。被害が甚大広範であるため反撃体制を整えるためにはその地域社会全体の対応能力の向上が必要である。そのためには、situation awareness(状況評価)が重要であり、かつ、その概略をその地域に説明し(防衛上実害のない範囲で)、協力を仰がねならない。このような観点から、敵基地攻撃能力を持つことに賛同する人達の説明が著しく不足しているため、国民の不安が払しょくされないままである。

 中国と米国の冷戦を始めとした混沌とした世界情勢の中、日本だけが世界情勢と無関係に安定した平和を享受できる時代ではないことを多くの国民は知っている。その国民に対する真摯な説明も無いばかりか、「抑止」と「抑止力」の区別もしないで騒いでいる議員ばかりの現状ではこの国は危ういというべきなのであろう。

今こそ、新型コロナウィルス感染症類型を変えることを議論する時

 2022年1月5日日刊ゲンダイDIGITALに『安倍元首相が新年早々「コロナ5類扱い」発言 医療崩壊の“元凶”また政権に口出しで批判噴出』が載った。抜粋すると『感染症法上の分類を「季節性インフルエンザと同じ『5類』として扱う手はあります」と発言。そうなれば、たとえ感染しても日常生活の制約はほぼなくなるが、医療費の公費負担もナシ。国民は「自助」を強いられる。そもそも度重なるコロナ失策で求心力を失い、2度目の政権ブン投げに追い込まれる大失態を演じたのはお忘れのようだ。新年早々、安倍元首相が吠えたのはアベ寄りで知られる読売新聞のインタビュー(1日付と3日付朝刊の全2回)。新型コロナは「指定感染症」に分類され、SARS(重症急性呼吸器症候群)などと同等の2類相当の措置が取られている。そのため、医療機関や保健所の負担軽減を理由にし岸田政権に対し、「今年はさらに踏み込み、新型コロナの法律上の位置付けを変更してはどうか」と提言。こう続けた。「入院治療が原則で、医療機関や保健所の負担は大きい。感染の仕組みが次第に解明され、昨年末には飲み薬も承認されました。オミクロン株への警戒は必要ですが、薬やワクチンで重症化を防げるならば、新型コロナを季節性インフルエンザと同じ『5類』として扱う手はあります」そもそも、医療崩壊の原因は安倍政権下で始まった病床数の削減だ。医療費削減を理由に25年時点で最大20万床削減を目指し、自宅療養を推し進めてきた。安倍元首相の「5類発言」は、〈お前は出てこなくていい〉〈政権を投げ出したクズが口出すな〉などとネット上でも批判されている。』

 記事は安倍批判一色であるが、政治的、感情的バイアスを除いて、今こそ、真摯に医学的に新型コロナ感染症の感染症類型を考える必要があると思われる。それには今まで集積した疫学に基づく手法が望まれる。

 NHKのデータによれば、国内の感染者数_1日ごとの発表数と国内の死者数_1日ごとの発表数に関して、2020年1月6日からの日々の推移をまとめると以下のグラフになる。2021年1月6日は国内感染者4,475名/日、死亡者1名/1日であり、昨年同月同日の 国内感染者6,049名/日、死亡者65名/1日 に比して明らかに死亡者が少ない。

 さらにNHKのデータでは重症も減少している。さらにオミクロン株では市中感染の拡大が認められ、感染者の集団隔離よりも非感染者の予防策(うがい、手洗い、マスク)がより効果的と考えられる時期に移行している。

 厚労省によれば、『例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。』まだ、疫学調査が不十分ではあるが、オミクロン株はインフルエンザと同様な傾向ではないのだろうか?少なくとも死亡率はあまり変わらない感じがする。

 感染者数、死亡数の推移、重症者数、市中感染の拡大などから見た場合、安倍元総理の発言が突拍子もないものとは必ずしも言い切れないと思うのは私だけであろうか?

 過去の報道でも新型コロナウィルス感染症の2類相当の分類に関しては問題が提起されてきた。いくつか紹介する。毎日新聞 2021/8/26東京朝刊では『新型コロナウイルス感染症は令和2(2020)年1月28日、厚生労働省健康局長名で「指定感染症」(https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000589747.pdf)となっている。いわば「法定伝染病」で、罹患者は隔離せねばならないのが「大原則」です。いま、適切な対策が講じられなかったために、罹患者の数が従来の100倍程度、爆発的に増大し、病院がパンクすることが見えているからといって「指定感染症」が指定でなくなるわけもない。2次感染を予防する適切な設備を持たない、一般家庭に留置して、そこで加療することは、それ自体、同居家族などへの2次感染を作り出す一大要因になりかねません。』、2021年1月8日デイリー新潮では『以前から現場の医師のなかには、2類相当から下げたほうがいいのではないか、という意見があった。私も2020年4月ごろから厚労省の担当官に“新型コロナは2類相当で扱うのに適していないのではないか”と話していました。致死率を考えると高齢者にはインフルエンザ以上でも、若い人にとってはインフル相当かそれ以下。SARSやMERSと同レベルに扱うのは違うと思う。2類相当は原則入院も強制ですが、それが必要な疾患ではないし、現実問題として重症者が増え、入院は重症化リスクが高い人に絞る必要がある点からも、2類相当とするのは違うでしょう・・(中略)・・・8月28日、当時の安倍晋三総理は2類相当を見直すと明言した。実現していれば、逼迫する医療にこれほど慌てなかっただろう。だが、感染者数という数字が増え、批判されるのを恐れたか、菅義偉総理は前総理の約束を反故にした。そして、やはり感染者数が増えると「人命軽視だ」と非難される専門家と歩調を合わせ、「2類を見直す」という声をタブー視し、悲痛な正論を述べる医師を孤立無援に追い込む。政治家も専門家も、総理の著書にあるように「覚悟」をもって、多くの国民の命を守るために、本当に必要なことに目を向けてほしいが、現に見えるのは、ウイルスより醜い人間のエゴイズムである。』、2020年3月1日医事新報では、『この感染症の診断はPCR検査によって行われている。PCR検査は感度については良好であるが、鼻咽頭粘膜などの検体採取部にウイルスが存在しない場合、感度をいくら上げても陰性と出る可能性が大きい。そのため検査陽性の場合は感染ありと断定できるが、陰性の場合は信用ができない可能性がある。PCR検査を希望者全員に行うことは感染者の数を著しく増やすことにつながると考えられる。この場合、無症状や軽度の症状の人もまとめて新型コロナウイルス感染症と診断されるので、指定感染症である以上、原則的には入院隔離措置が執られることになる。そうすると、感染症指定医療機関ではない一般の医療施設でも入院させざるを得ない状況になり、逆に院内感染を拡大させる可能性が増してくる。いつの日か、本感染症を指定感染症から解除する時がやってくると思われるが、そうなってくれると通常のインフルエンザと同様に軽症の場合は自宅待機を勧めることが可能になり、医療における混乱が生じる可能性は減少する。個人的な意見になるが、これからの1カ月間の感染の動向により新型コロナウイルス感染症への基本方針が大きく変わる可能性が高いと考えている。新規感染者より回復者の方が多くなれば指定感染症の枠から外し、季節性インフルエンザと同じ診療方針で行えばよい。新規感染者がなお回復者を大きく上回っているのであれば、感染ルート探索のために全力を挙げ、個別の調査により感染源を完璧に絶たなければいけない。結果が前者であってほしいと強く望んでいる。』

 毎日感染者数の増加を見て第6波がやってきたとことさらに騒ぐのではなく、疫学調査をしっかりやって、その上で感染症類型を変更していくことが、「with CORONA、コロナとの共存」を目指すために必要であると思われる。

米国本土を守るための北極・亜北極圏の軍事施設の重要性は論じられているが、南極経由の攻撃に対しては?

 Preparing for the future of combat casualty careによれば、米国本土から遠方の治療提供や治療やサプライを促進するための同盟国との安全協定を結ぶと同時に、母国に近い脅威について考える必要がある。長距離精密ミサイル攻撃から米国本土を守るために重要なネットワークは北極・亜北極に位置する基地の集合が枢軸である。米国国防省・国家安全保障省は祖国防衛の主要作戦を維持するため北極の作戦の重要性と持続性に大きな注意を払っている。ロシアはこの地域にたくさんの軍事施設を持っている。一方、米国はアラスカ、グリーンランドに数か所の基地を持ち、同盟国のカナダ、デンマーク、アイスランド、ノルウェイ、スェーデン、フィンランドが北極の作戦支援を行っている。 医療的にも 、北極は気温差、積雪量、乾燥、日照時間などにより、凍傷、脱水、局所的疾病、高山病に対する適切な訓練も必要とされている。以上のように、本書では米国本土防衛のための北極圏の重要性が論じられてきているが、南極経由のミサイル防衛は論じられていない。

 1月2日のSANKEI NEWSに『ミサイル防衛裏かく南極経由も 中国の極超音速兵器』という記事が記載された。「中国が低周回軌道を使った極超音速兵器を標的近くに着弾させたことは、日本に対する米軍の拡大抑止の信用性を傷つけかねない意味を持つ。当初報道されたように標的から約40キロ離れた地点に着弾したのであれば核兵器を搭載しても標的を破壊できない可能性があるが、精密誘導が可能であればピンポイントで「核の脅し」を行うことができ、通常兵器としても運用できることになる。』と指摘している。

 このSANKEI NEWSが真実であればに日本だけではなく、米国も戦略構想を練り直すか、新たな戦略を立てるか、という大きな問題を含んでいる。

台湾有事を医療的支援の面から考える。

玉城沖縄県知事、台湾有事計画「攻撃目標になると危惧」』という記事を読んだ。台湾有事を想定し、自衛隊と米軍が日米共同作戦計画の原案を策定したことに関し、沖縄県の玉城デニー知事は24日、防衛省で鬼木誠防衛副大臣に「台湾の有事で、再び攻撃の目標になることがあってはならないと危惧している。これ以上過剰な基地負担があってはならない」と述べた。これに対して、岸信夫防衛相は同日の閣議後記者会見で、日米間では、2015年改定の防衛協力指針(ガイドライン)に基づき、共同計画の策定や更新をしているとの一般論を説明し、「計画の策定状況や具体的な内容などの詳細は、緊急事態での日米両国の対応に関わることで事柄の性質上差し控える」と明言を避けた、という内容である。

 玉置沖縄知事の発言の発端は、12月23日共同通信社の「台湾有事、南西諸島を米軍拠点に:共同作戦計画の原案策定」という記事らしい。『有事の初動段階で、米海兵隊が鹿児島県から沖縄県の南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点を置くとしており、住民が戦闘に巻き込まれる可能性が高い。年明けの開催が見込まれる外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で正式な計画策定に向けた作業開始に合意する見通し。23日までに複数の日本政府関係者が証言した。平時は基地建設などはせず、台湾有事の緊迫度が高まった初動段階で自衛隊の支援を受けながら部隊を投入する。米軍の拠点設置には、日本政府の政策決定などの必要がある。』という内容であった。

 Preparing for the future of combat casualty careによれば、米国国防省は起こり得るCDO(contested, degraded, or operationally limited)に対して、米軍が攻撃に耐え回復できることを確実化する軽減作戦や技術に必要な投資をすると同様に、如何に米軍の力と作戦を最良に発揮するかついて考えている。積極的な抑止力、いわゆる敵の攻撃力を封じる役割、としては、例えばパトリオットミサイルの防衛システムがある。一方、受動的防衛手段や積極的防衛手段を通過した敵のミサイルの損害を低下させることも必要である。受動的防衛手段としては爆風や榴散弾から守る固いシュエルター、燃料備蓄の分散、カモフラージュなどがある。いずれにしろ、施設や整備だけではなく貴重な人材(市民も軍人も)が失われ、結果として軍の能力が低下するため、全体の軽減方策では医療支援が重要になっている。イラク、アフガンにおけるRole1から5までの階層的戦傷医療体制ではミサイルによる大量戦傷者には不十分であり、収容能力、治療能力、情報や物資の総量、SurgeについてMTF(medical treatment facility)の向上、医療システムのネットワークに邁進している。医療システムのネットワーク化には同盟国の支援が要点の一つである。各同盟国では部分的支援から全面支援まで支援の程度の温度差はあるにしても対応を求められている。日本も求められていると思うが、その内容は軍事的な支援内容と同様、明らかにされていない。

 将来的な戦争では、直接的に軍力を低下させる軍に対する直接攻撃のみならず、間接的に軍力を低下させる軍のロジスティクスや医療施設も攻撃の対象になる可能性がある。また、直接攻撃に際に反撃に転じるにも医療的な支援は欠かすことができない。台湾有事は確かに台湾が主戦場であるが、台湾有事の際には在日米軍の全体的な作戦になるはずである。米軍の基地は沖縄だけではなく、横田にもあり、日本がどの程度の軍事的、医療的支援を約束しているかにより、台湾有事は沖縄県民だけの話ではない。日本全体の危機として考慮すべき緊喫の課題である。