政府の対応は感染症対策なのか?災害対策なのか?危機管理の本質が問われている!

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 3月19日の専門家会議の会見では、『大規模イベントについて「集団感染が起こると全国的な感染拡大につながる」として引き続き慎重な対応を求める一方、感染が確認されていない地域では、学校活動の再開などを容認する新たな見解を示した。』、『イベント自粛や学校の一斉休校などの効果は「定量的な測定は困難」としながら、「一連の国民の適切な行動変容により、新規感染者が若干減少した」と意義を認めた』と漠然とした報告及び対策が報告された。

 新たな感染症の実態も明らかでない状況下、その量的・質的推測はそもそも困難だったはずである。学問的な根拠も乏しい、2週間の自粛、さらに10日の延長といたずらに国民に犠牲を強いただけと思われる。結局今回の報告も今後もイベントを含めた国民の行動は自己責任で判断しなさいと言ってるだけで、国民に責任を丸投げしたような見解である。

 それに比し、『3連休中の大阪―兵庫県の往来自粛』を3月19日直接大阪府民に呼び掛けた大阪府知事は、感染症に対する行動を個人の自己責任のみに押し付けるのではなく、行政の長の責任として知事自粛要請した。この行動は組織の司令官としては最高の決断である。何故なら、組織の長とは部下が右往左往しないように、時には苦しい決断をすることが必要であり、大阪府知事はこれを実践している。『最悪を想定し最大の対応を取る』という大阪府知事の決断は、コロナウィルス対策はもはや感染症対策ではなく、災害対策であるという、心構えが見えてくる。

 災害とは『影響を受けた地域において、地域自身の持つ資源のみでは対応しきれないような、広範囲の人的、物的、環境的損失を惹き起こす社会機能の深刻な混乱である』と定義されている。今回のコロナウィルスによる現状の社会的混乱を見るかぎり、もはや一感染症対策では終わらず、災害対策を講ずるべきである。政府はマスクは増産している、トイレットペーパーは不足しないはずだと言っていても、実際には未だに国民はなかなか手に入らない。このような社会的混乱を生じていても、未だにオリンピック開催に目標を合わせたとしか思えない感染症対策から脱却できないでいる。もはや災害対策が必要であるにも拘らず、その意識に欠けている政府の危機管理は既に危機的状況と思われる。

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