「重症リスクの高い人以外は自宅療養」と医療職以外の人間が何の根拠も示さず、簡単に決めて良いのか?はなはだ疑問が残る。

Pocket
LINEで送る

 2021年8月2日菅総理は「重症リスクの高い人以外は自宅療法体制整備へ」という方針を決定し、「菅総理大臣は、3日にも、医師会や病院関係者に協力を要請するとして「感染者数が急増する中で、医療提供体制を機能させることが最大の課題であり、自治体と連携しながら、政府として全力を尽くす」と強調しました。」との報道があった。この背景には医療が逼迫したため、限りある医療資源を有効活用しようとするトリアージの概念が根底にあると推測される。これの概念を適応する状態であるか否かの判断の根拠も示さず、迂闊に実行してはならない。さらに「8月5日田村厚労大臣は新型コロナ対策分科会尾身会長には事前の相談もしなかったと言っている。」ということであれば、学識経験者の意見の聞かず、トリアージを実行しようとしており、恐ろしい事態である。

 米国では、crisis standard of care(危機管理基準)と呼ばれる「突然の災害や住民の健康危機の時に何万人あるいは何十万人と発生する多数の犠牲者に対して可能な最良の医療を提供する」ためのフレームワークが存在する。その適応指針として、①広範囲にわたる災害や壊滅的な災害により、通常の医療水準を満たすことができない場合に適用される、 ②主要な資源の利用可能性を拡大し、臨床現場に与える資源不足の影響を最小限にするという共同の目標を持っている、 ③通常の治療を受ければ助かる患者が亡くなることを認識しながら、可能な限り多くの命を救うことに努める、 ④危機管理基準を実施するには、救命処置を受けるための患者をどのようにトリアージするかなど、限られた資源の配分に関する施設固有の決定が必要となる。この4つの指針の中で、特筆すべきは③であり、「ある傷病者たちが他の状況下では生存し得たかもしれないにもかかわらず、より多くのその他の傷病者の利益のために犠牲になること」を許容していることになる。このことは医学倫理や法大きな問題や課題を残している。

 日本医師会の患者の権利に関するリスボン宣言では「供給を限られた特定の治療に関して、それを必要とする患者間で選定を行わなければならない場合は、そのような患者はすべて治療を受けるための公平な選択手続きを受ける権利がある。その選択は、医学的基準に基づき、かつ差別なく行われなければならない。」と指摘している。また、災害時の倫理(高橋隆雄監訳:頸草書房 東京)には、「災害が起こり、助けられる人すべてを救うのに十分な資源がない場合は、何が起るだろうか。SGNW(save general number who:〇〇という人を助ける)に従って行動することは道徳的に正当化されるだろうか。答えは否である。(中略)道徳的な問題は生と死に関する裁量を事前であれ事後であれ市民には透明ではない方法で個人の手に与えていることである。」と記載されている。以上の2つから、医療資源の著しい制限下でも、全ての患者は治療を受けるための公平な選択手続きを受ける権利があり、さらに、ある特定の人だけを助けるという選択は市民に透明でなければ成り立たない。

 今回の方針は単純に多くの感染患者が困るという問題だけではなく、医学倫理、患者の権利も十分理解や吟味されておらず、医療を受ける側に大きな問題を残している。

 さらに、医療を提供する側からは、倫理的な側面だけではなく、医療法上からも大きな問題を抱えている。厚労省の新型コロナ感染症診療の手引き第2版によれば、重症度は次のように分類されている。

 重症度分類は票では綺麗に分類されているが、そう簡単ではない。現代の医療は軽症者の重症化を防ぐ、あるいは、一見軽症な重症患者を見分けていくことが求められ、「重症化リスクの高い人」を判別することが難しいこともしばしばである。そのため、実際の医療現場では、軽症、かつ、重症化リスクが低いと判断されても急変することがあるため、疑わしきは入院観察というう方向性が求められているし、これを怠れば医療訴訟に発展する時代である。

 また、医療過誤とは言えないまでも患者の期待権が尊重される時代である。期待権とは「・・患者としては、死亡の結果は免れないとしても、現代医学の水準に照らして十分な治療を受けて死にたいと望むのが当然であり、医師の怠慢、過誤によりこの希望が裏切られ、適切な治療を受けずに死に至った場合は甚大な精神的苦痛を被るであろうことは想像に難くない。・・」というものである。すなわち、「十分な患者管理のもとに診察・診療行為さえなされていれば,ある結果も生じなかったかもしれないという蓋然性がある以上,十分な患者管理のもとに診察・治療をしてもらえるものと期待していた患者にとってみれば,その期待を裏切られたことにより予期せぬ結果が生じたのではないか」という観点から見れば、「重症化リスクの高い人意外は自宅待機」と簡単に言えるものではない。

 法律的な問題も議論されず、一方的に医師に責任を押し付けている今回の方針は医療職からしても大きな問題を抱えている。

 このように、倫理的な問題・課題だけではなく、法律的な問題・課題が重積している今回の方針であるが、総理に指導力や管理能力がないだけではなく、政府・与党内だけではなく野党にも学術的戦略のブレーンが欠如していることが新型コロナ感染症対策のダッジロールの主な原因である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください