ロシアのウクライナ侵攻における一方的な報道で『ロシアが極悪非道でウクライナが正義』というステレオタイプに陥っていないか?

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「倫理観は普遍的なものではない」ということを改めて考える必要がある。

 精神科の和田秀樹先生の「「プーチン=極悪非道、ゼレンスキー=正義の味方」そんな安直な思考が見落とす重要事実」という記事を読んだ。「・・・ロシア制裁の最先端にいるアメリカにしても、必ずしも、ロシア=悪、ウクライナ=正義という図式にはなっていないようだ。・・・社会心理学の立場から考えると、自分が正義の味方で、許せない敵がいると考えているときは、集団的浅慮という判断に陥りやすいとされる。人間というのは、自分が正義と思うと残酷なことにも痛みを感じられなくなる。あのナチスですら、自分たちが正義と思っていたのだ。北朝鮮の飢えた子どもの映像をみても、悪い国の人間だから当然だと感じたり、ウクライナ兵にロシアの若い兵士が殺されても同情の心が起こらなかったりしたら、それはちょっと危険な状態だと私は思う。 一般大衆が偏った判断をしても、外交に影響はないように思うかもしれないが、民主主義国では民意は無視できない。少なくとも、ふだんの人間関係では、自分が「正義の味方症候群」に陥っていないかという自省をウクライナ情勢を機に身に付けたいものだ。」全く同感である。ほとんどの日本人は現時点で 「ロシアは極悪非道、ウクライナは正義」というステロタイプに陥り、偏向報道により偏った正義観に踊らされていると思われる。

 伝えられる報道のほとんどは「ロシアが極悪非道、ウクライナが正義」というスタンス一方であるが、しかし、どんな事態にも、双方に非があるはずである。連日のように、ロシア軍による民間人の殺戮や拷問の数々が報道される。これらをフェイクニュースと思ってる訳ではない。戦争そのものを憂いでいる。

 戦争とは狂気の世界である。「人を殺してはいけない」という当たり前のことが「当たり前ではない」のである。「倫理観は必ずしもフリーサイズではない」と言われるように、倫理観は宗教、文化、状況などに応じて変わるもので、普遍的なものではない。医師の倫理観にしても、軍医の倫理観では、例えば、敵兵と味方兵が負傷した場合に平常時と同様に緊急度・重症度に従って診療するか?、という問題さえ生じる。平常時の人間から異常時に置かれた人間の倫理観を慮ることには所詮無理がある。極限状態では、どんな人間でも自分の命を守るためには異常な行動に出る可能性は否定できない。また、日常的に正常に置かれた人間の倫理観の尺度から、この行動をとった個人自体の倫理観を論じてられるものではない。むしろ、正常時に正常な倫理観を持つ者がその状況に至った経過や原因を探求すべきである。

 市街戦になれば、イラク・アフガンの経験からも市民と民兵の区別がつかず(これを逆手に取って利用した側面も否定できないが)、極限の兵士は自分の命を守るため、確認する手間も無く攻撃するため、市民の犠牲が増加する。また、市街戦を避け、ミサイル攻撃などの攻撃になれば、兵士の負傷は少なくなるが市民の負傷は増加する。今回のウクライナの市民の負傷者の増加は、ロシアの戦術として味方の犠牲を少なくするため可能な限り市街戦を避け、ミサイル攻撃などで戦い、市街戦では如何に負傷兵を少なくするか、という戦術に従った結果ともいえる。 すなわち、戦争とは勝つためには、市民の負傷などよりも戦果を求めるもので、ロシアはこれに従っただけとも言える。今回著しい批判を展開している米国でさえ、ベトナム戦争時に「正義」であったとは言えないはずである。決して、ロシアの弁護をしている訳ではなく、戦争というものの本質を述べているだけである。戦争自体の残酷さや悲惨さではなく、何故、戦争に至ったのかの理由や経過、何故止めれなかったのか、などの冷静な分析が望まれる。

 今回のウクライナだけではなく、今までもベトナム戦争など多くの戦争が世界中で起こってきたが、その都度、イデオロギーの正義だけが問われ、戦争自体の原因・経過、予防策などの分析検討を行ってこなかった政治家が、今回も同じようなことを繰り返して、自身の政治活動に利用している、と思うの必ずしも妄想とは思えない。世の中に一方的な正義はないはずだから。

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