G7の視点は偏っていないか?

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 日本維新の会の鈴木宗男参院議員は21日、自らのブログで、「G7で『一にも二にも停戦だ。お互い銃を置け。我々が仲介に入り両方の話を聞く』という声が出なかったことに失望する」と書き込んだ、という記事を見た。私自身はこの意見は物凄くまともな意見であり、高く評価されるべきと考える。世界全体を俯瞰すると称するG7であるなら、両国のメンツなど様々な障壁を超える知恵を出し合い、終戦・停戦を議論すべきと考える。今回のG7では、一方的にウクライナのゼレンスキー大統領だけを招待し、当事者のロシアのプーチン大統領を招待しないこと自体、「ロシアが極悪非道でウクライナが正義」という西欧社会の一方的視点からの発想と思われるが、我国もこのような偏った視点でよいのであろうか?ウクライナに対する現在の支援の大部分は結局戦闘維持に使われ、それは多くの死傷者を生み、両国国民の犠牲を拡大するだけである。支援は本来生産的価値を生むものを対象とすべきであり、現在のウクライナ支援は何ら生産的価値を生まず、破壊を生むだけである。国家や政治家のプライドや理念によって市民を犠牲にしてはいけないという当たり前のことがロシアとウクライナの両国にかけていると思われる。

 今回のロシアのウクライナ侵攻は「大義も正義もない戦争」と一刀両断されるが、それはロシアの視点ではなく、評論家や発言者自身の視点である。発言者自身から見て「大義も正義もない」ことかもしれないが、ロシアにとっては「大義も正義もある」ことなのである。確かに今回のロシアの進行は身勝手で決して正しいとは思っていないが、ロシアにとっては大義も正義もあったこそ、侵攻したのである。このようなロシアの思想背景や状況を考え、ロシアとウクライナの両者の意見を聞くことが必要であると思われる。この相互理解への探求精神が世界全体の平和に必要不可欠なものである。

 2022年4月7日当ブログでも『ロシアのウクライナ侵攻における一方的な報道で『ロシアが極悪非道でウクライナが正義』というステレオタイプに陥っていないか?』というタイトルで、精神科の和田秀樹先生の「「プーチン=極悪非道、ゼレンスキー=正義の味方」そんな安直な思考が見落とす重要事実」という記事を紹介した。残念ながら、今回の鈴木議員もロシア寄りというレッテルを張られ、鈴木議員の主張はまともに論議されることもない我国の現状はあまりにも世界の半分に満たない西欧社会の価値観に迎合し過ぎている危惧があるのは私だけであろうか?

 このブログを書いている際中に、G7の主体国であるブラジルのルナ大統領の発言の記事の中に、ルナ大統領は「ウクライナとロシアの戦争のためにきたわけではない」として、その議論は「国連がやるべきだ」と批判した」とある。まさにその通りであり、この発言こそ、議長国である日本が発すべき言葉であったと思われる。

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