「私たちは”私生児”と呼ばれていました」から始まる、自衛隊の誕生から左派・右派から反発を受けながらも現在の姿に至った経緯をまとめた本である。本書の出だしの概要の一部を如何に示す。
【第二次大戦後軍隊の役割は著しく変わった。壊滅的な敗戦、軍隊の保有を禁じた平和憲法、教育改革、平和主義的で特に反軍国主義的な機運の高まりといった要因が積み重なり、軍隊の必要性を認めてこれを支持する国民は減った。その結果1950年に再建され、数年かけて形が整えられ、よみがえった軍隊は一般社会から孤立し疎外された結果として、前述の私生児発言が生まれた。その背景なるが故、「社会に認められること、溶け込むことを目指して」様々なアウトリーチや社会貢献を行ってきた。
専守防衛方針は吉田茂の「極度に低い防衛予算」に抑えることを可能とする米国との従属的同盟関係、「攻撃的軍事行動をとらず、攻撃的能力も持たない」約束、そしてひたすら経済成長を最優先する前提において成立しており、冷戦のほぼ全時代とその後の戦略モデルとして、「吉田ドクトリン」と呼ばれ、軍と社会との進展する関係およびアイデンティティを形成した。その結果、再軍備を指示した多くの日本人は再建された軍隊を軍隊ではなく、攻撃能力を持たない防衛隊として想定し、自衛隊とその支持者は組織の正当性を主張し、受け入れた。
陸上自衛隊が社会に受け入れられる過程で、自衛隊、隊員、社会全般のそれぞれのアイデンティティが変化し、隊員の存在意義は外国の軍事的な脅威や自然災害から国民を守ること、そして、軍事・非軍事両面の様々な活動を通して国民の福利を守ることだった。したがって、この組織に属する者は「兵士」ではなく「隊員」であり、天皇ではなく国民に奉仕し、盲目的に忠実な兵士ではなく訓練と教育を受けた、自由で平和を愛する紳士であることを求められた。】
以上のように、自衛隊の成り立ちはもちろん、専守防衛方針、アイデンティティの変化に対する対応などまとめてある。関係者はもちろん、一般の方々も本書を読み、改めて、自衛隊を軍として認識すべきか、憲法に記載すべきか、を熟考する必要がある。