フィリピンの訓練で交通事故により自衛隊員1名死亡、1名重症

フィリピンの訓練で交通事故により自衛隊員1名死亡、1名重症という記事を読んだ。
実に痛ましい事故である。今後このような事故が行らぬよう訓練の在り方など検討が必要であることは勿論、万が一事故が起こった場合の救護体制の更なる向上も忘れてはならない。そのためにはこの症例のpeer reviewを様々な角度から、例えば
①事故時の患者の医学的な状態は?応急手当は?誰が応急処置を行ったのか?同胞の自衛隊員の関わりは?
②負傷者の搬送は?負傷から応急手当までの時間?、病院までの時間?、根本治療までの時間?
③病院での最終診断は?どんな治療を受けたのか?死因は何か?
④日本に後送する状況は?体制は?
⑤全体を通して改善すべき点は?
など、しっかり分析検討し将来に役立てることが望まれる。
今回は実際の戦闘に伴う戦傷ではないが、この経験から自衛隊員が海外で負傷した際の応急救護体制の再検討が必要と思われ防衛省に問い合わせたが「フィリピンで適切な医療を受けたので先生の出番はない」との回答であった。

戦争後症候群とCMI

 戦争後症候群とは米国市民戦争から最近の戦争までの大きな戦争で記録され、最も顕著なものは「ペルシャ湾岸戦傷疾病」あるいは「ペルシャ湾岸症候群」と関連した損なわれた症状複合体である。その状況は、記憶/認知障害、筋骨格系疼痛、疲労、頭痛、頻呼吸を含む一般に医学的に説明のつかない症状によって定義される。
 また、筋骨格系疼痛、全身疲労、気分や認知の問題の3徴候の一つあるいは一つ以上が少なくとも6か月以上存在することを慢性多症状疾病(chronic multisymptom illness:CMI)と定義している。CMIは武力衝突以後に南北戦争以来記録されてきて、不幸にもアフガンやイラク作戦の戦場から帰還した退役軍人に再度表面化した。CMIは症状が退役軍人時代の他の併発する障害の発展と有無により異なる複雑な慢性健康状態である。症状の異なる性質のため、CMIの退役軍人は多数の専門家を受診し、十分調整できないか、あるいは、矛盾した治療計画に終わる。
 米国では、退役軍人を評価するために医療者、研究者、教育者が一緒の集学的なチームを導入することは退役軍人個人の治療を改善しシステムに広い利益を与えるとの考えから、戦争関連疾病外傷研究センター(War Related Illness and Injury Study Center :WRIISC)、概念的には退役軍人健康管理患者一連治療チーム(Veterans Health Administration’s Patient Aligned Care Team:PACT)構想に関連し、退役軍人委員会(Veterans Affairs)のCMIへの集学的な橋渡し的アプローチを実践している。
 弾薬やミサイルの砲火から1マイル以内の兵士に多く見られるという結果から、積極的平和外交を目指す我国でも任務後のCMIに対するデータ蓄積や研究が必要と思われる。ここに掲げた資料は戦傷医療の項で示したので興味があればご覧ください。

第一線救護衛生科隊員最終試験

今日午後第一線救護衛生科隊員の最終試験の見学に行ってきた。雨の中、野外で人体モデルを使ったシナリオ訓練は実戦さながらであった。彼らは雨を物ともせず真剣に訓練に取り組んでいた。しかし、「教官の多くは十分な実際の患者の手術経験を有さず、人形相手の処置しかしたことがない」と某誌に記載されるように経験の少ない教官が教えても教育は不十分という意見が少なからずある。第一線救護衛生科隊員の出来不出来が隊員のせいではなく教官側の臨床経験や知識の不足や勉強不足に因るものと批判を招かないよう、訓練生以上に教官たちの切磋琢磨が望まれる。

潜水艦の医療体制

医療資源の乏しい孤立した環境下の潜水艦の医療体制に関する報告は、今後の海上自衛隊における第一線救護衛生科隊員の教育や在り方に関する大いなる一助になると考えられる。この論文は経験の少ない自衛隊には大いに役に立つと思われるので戦傷医療の項で紹介したので興味のある方は是非一読願いたい。

自民党総裁選

今日9月14日自民党総裁選討論会が行われ、当然ながら憲法と自衛隊についての討論も行われた。総裁選なので総論的な討論になりやすく、自衛隊の問題にしても法律や体制などは論じられる。しかし、実際に活動するのは自衛隊員という生身の人間であり、その個人を守らなくして自衛隊は国を守れない。総理は冒頭に「対抗馬の石破茂元幹事長が主張の柱としている地方政策に関し「問題点を指摘することも大切だが、具体的な政策を進めていくことがとても大切だ」と述べ、石破氏の姿勢を皮肉った。」という記事が載っていた。憲法問題とは別個に存在している各自衛隊員個人個人の命に関しても問題点を指摘するより具体的な政策が必要である。
安倍総理は以前「血を流してこそ同盟」と発言する一方で、自衛隊の流した血を止める具体的な政策を進めてきた。砲火の下の戦場での応急処置の第一歩である第一線救護衛生科隊員の誕生を見る限りでは歴代総理の中で自衛隊員個人の安全安心健康に関して一番熱心な総理とも思われる。しかし、これはあくまで最初の一歩であり、今後国を守る自衛隊員の生命をどのように守っていくかを考えた場合に、従来かつ現在の防衛省の自衛隊員の生命への対応を見ているともっと積極的に防衛省、防衛医大の改革に旗を振る必要がある。

「正論」と「週刊朝日オンライン」を読んだ

最近気になる記事を2つ読んだ、
①正論2018年8月号(https://www.fujisan.co.jp/product/1482/b/1653171/)「もし尖閣で負傷者が出ても… 自衛隊医療の恐るべき貧弱」
この中で杏林大学山口芳裕教授は「第一線救護衛生員の教育にあたる教官(医者)の履歴を見ると米陸軍衛生学校高度外傷救命課程修了、戦傷病外科課程修了等の立派な研修資格が並ぶが、教官の多くは十分な実際の患者の手術経験を有さず、人形相手の処置しかしたことがないといわれる。」と述べている。発言の一部であり、この発言だけから山口教授の真意は分からず文脈から判断すべきであろうが、「自衛隊医療の恐るべき貧弱」という全体の流れの中では自衛隊医療の貧弱性を示したい編集の意図の線上にある感は否めない。しかしながら、教授の主張は正論であり指摘通り経験が少ないことは否定できない。問題なのはこの批判に対して何ら反応せず、また、批判を受け更なる教官教育を実践する気概もない防衛省の体質にあると思われる。

②週刊朝日オンライン「防衛医大教授がテキスト制作で元自衛官の著書を“パクリ” 抗議でこっそり修正」(https://dot.asahi.com/wa/2018080600061.html?page=)
この記事の本質部分の無断引用は自衛隊医療の質を支えるべき防衛医科大学校教職の質への懸念を抱かせるものであるが、このことに関しても防衛省の考えが見えてこず、医療軽視の姿勢がうかがわれる。

さらに、筆頭編集者である防衛医大斎藤太蔵教授は「シビリアンのための書籍であり、第一線救護とは切り離したものです。すなわち、事態対処医療は本邦の法規を遵守しなければなりませんので、軍事(ミリタリーの)医療ではないです」と本書を紹介している。つまり、教授はこの著書はTECC(tactical emergency casualty care)を紹介したものであり、第一線救護衛生科隊員(正式名称)が戦場での医療を扱うTCCC(tactical combat casualty care)とは別物であるとパクリ問題には答えず論点を変えてしまっている。

この記事で気になった点は副題として「事態対処医療の手引き」とあるがまさに「事態対処」という言葉その自体が日ごろから憂いでいるように人によって受け取り方が異なっていることである。事態対処法http://www.kokuminhogo.go.jp/gaiyou/yujikanrensei/taishoho.html、国民保護法http://www.kokuminhogo.go.jp/gaiyou/kokuminhogoho.htmlでは「事態」とは戦闘行為における武力攻撃事態を指し自衛隊が中心となって対処する一方、斎藤教授達の「事態」とは恐らく警察が主体となって対処する非戦闘行為を指していると推測される。意図的に殺傷が行われる現場での医療体系を米国では軍ではTCCC(tactical combat casualty care)と呼び、民間ではTECC(tactical emergency casualty care)‥と呼んでいる(本ブログの戦傷医療の項を参照されたい)。斎藤太蔵教授がTECCを紹介したものであれば、防衛医大として「第一線救護衛生員を養成するテキスト」には不十分である。なぜなら、第一線救護衛生科隊員(正式名称)は有事(戦闘行為)に限定した医療行為を行うものであるからである。

訓練研修のリアリティ

 自衛隊の「第一線救護衛生科隊員」(http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/meeting/kyumei/sonota/sonota.html)第一期生の教育研修が2017年5月11日から三宿の自衛隊衛生学校で始まり、最近では2018年6月に行われた。彼らは座学実技試験合格後は有事の際に彼らに許可された医療処置を遂行しなければならないため、線形アルゴリズムによる教育研修法ではあるがリアリティを求められている。確かに2018年の防衛セミナーでもリアリティが主題であり、外傷機転、シミュレーターも含めたシミュレーションなど訓練研修をより現実的にする方法論が紹介された。これは訓練でできないことは実践でできるはずがないという点では正解である。しかし、戦傷の場合は通常と異なり『devastating injury』と称されるように治療する側が途方に暮れるような損傷であり、外傷形態も多種多様で実践の経験が一番のリアリティーであり、これを訓練で正確に、かつ、忠実に想定することは難しく、この観点から戦傷医療訓練のリアリティの探究には限界がある。訓練研修のリアリティを追求しすぎるのではなく、医師のいないCUFにおいて経験も少なく基礎的な知識技術しかない第一線救護衛生科隊員が如何に自分に許可された能力技術を持ってdevasting injuryと戦うかが一番のリアリティーであり、そのためには治療の可否、継続と断念、処置困難に対する回避処置などを教えることが、一番のリアリズムと思われる。この上で、Trainingをexerciseとdrill に分けることが望ましい。前者は同じ訓練を何回も繰り返し手技や考え方を刷り込み、後者はシナリオ自体に想定外を設け臨機応変な対応を身に着けさせる。あくまでも教える側が教える目的や教条をもって、医師のいない戦場で医師の代わりを務めるのは第一線救護衛生科隊員のみであるというリアリティをもって教える必要がある。

前線医療

前線医療front-line medicine
 幸いにして我国は第二次大戦以来戦闘行為に巻き込まれなかったが、逆に医学的には戦傷医学の経験や知識が乏しいと言わざるを得ない。米国では戦傷で死亡した兵士の約90%は医療施設に到着する以前に死亡していたことから、combat medics(陸軍の衛生兵)、corpsmen(海軍の衛生兵)、PJs(pararescuemen空軍の衛生兵)による戦場での外傷処置の重要性に光を当て、TCCCC(Tactical Combat Casualty Care )ガイドラインに沿った戦場での医療行為が行われている。
 我国における戦傷医学の始まりは、明治10年(1877)の西南戦争時に佐野常民(さのつねたみ)・大給恒(おぎゅうゆずる)等が中心となり、傷病者救護を目的として組織された博愛社と思われる。日本赤十字社のHPによれば(http://www.jrc.or.jp/about/history/)、戦傷医学は日常の医学とは異なっているということに対する理解が得られず、必ずしも順調満帆ではなかったらしい。政府に対して救護団体博愛社の設立を願い出たが、当初この願いは認められず、その理由は、『このような考えは素晴らしいことではあるが、現地には救護に必要な医師等は派遣しており、医療は足りている。今、新しい組織を作って戦地に送れば、混乱をきたす。欧州では国家間の戦争の際に組織(赤十字)を作って救護することは知っているが、このたびの内戦にまで適用されるものなのかどうかは分からない。このような組織の創設は、平和な時に十分時間をかけて検討すべき。』ということだった。しかしながら、戦場ではおびただしい数の負傷兵が手当てもされず放置され、博愛社の設立を急いだ佐野は、征討総督有栖川宮熾仁親王に直接、博愛社設立の趣意書を差し出すことに意を決し、1877年5月、熊本の司令部に願い出、有栖川宮熾仁親王が英断をもってこの博愛社の活動を許可した。
 勿論、佐野常民等の人道主義は重要なことであるが、戦闘行為自体の是非とは無関係に戦傷を医学において学問的に追及する上でも通常医療と戦傷医療の橋渡し研究は必要不可欠である