「正論」と「週刊朝日オンライン」を読んだ

最近気になる記事を2つ読んだ、
①正論2018年8月号(https://www.fujisan.co.jp/product/1482/b/1653171/)「もし尖閣で負傷者が出ても… 自衛隊医療の恐るべき貧弱」
この中で杏林大学山口芳裕教授は「第一線救護衛生員の教育にあたる教官(医者)の履歴を見ると米陸軍衛生学校高度外傷救命課程修了、戦傷病外科課程修了等の立派な研修資格が並ぶが、教官の多くは十分な実際の患者の手術経験を有さず、人形相手の処置しかしたことがないといわれる。」と述べている。発言の一部であり、この発言だけから山口教授の真意は分からず文脈から判断すべきであろうが、「自衛隊医療の恐るべき貧弱」という全体の流れの中では自衛隊医療の貧弱性を示したい編集の意図の線上にある感は否めない。しかしながら、教授の主張は正論であり指摘通り経験が少ないことは否定できない。問題なのはこの批判に対して何ら反応せず、また、批判を受け更なる教官教育を実践する気概もない防衛省の体質にあると思われる。

②週刊朝日オンライン「防衛医大教授がテキスト制作で元自衛官の著書を“パクリ” 抗議でこっそり修正」(https://dot.asahi.com/wa/2018080600061.html?page=)
この記事の本質部分の無断引用は自衛隊医療の質を支えるべき防衛医科大学校教職の質への懸念を抱かせるものであるが、このことに関しても防衛省の考えが見えてこず、医療軽視の姿勢がうかがわれる。

さらに、筆頭編集者である防衛医大斎藤太蔵教授は「シビリアンのための書籍であり、第一線救護とは切り離したものです。すなわち、事態対処医療は本邦の法規を遵守しなければなりませんので、軍事(ミリタリーの)医療ではないです」と本書を紹介している。つまり、教授はこの著書はTECC(tactical emergency casualty care)を紹介したものであり、第一線救護衛生科隊員(正式名称)が戦場での医療を扱うTCCC(tactical combat casualty care)とは別物であるとパクリ問題には答えず論点を変えてしまっている。

この記事で気になった点は副題として「事態対処医療の手引き」とあるがまさに「事態対処」という言葉その自体が日ごろから憂いでいるように人によって受け取り方が異なっていることである。事態対処法http://www.kokuminhogo.go.jp/gaiyou/yujikanrensei/taishoho.html、国民保護法http://www.kokuminhogo.go.jp/gaiyou/kokuminhogoho.htmlでは「事態」とは戦闘行為における武力攻撃事態を指し自衛隊が中心となって対処する一方、斎藤教授達の「事態」とは恐らく警察が主体となって対処する非戦闘行為を指していると推測される。意図的に殺傷が行われる現場での医療体系を米国では軍ではTCCC(tactical combat casualty care)と呼び、民間ではTECC(tactical emergency casualty care)‥と呼んでいる(本ブログの戦傷医療の項を参照されたい)。斎藤太蔵教授がTECCを紹介したものであれば、防衛医大として「第一線救護衛生員を養成するテキスト」には不十分である。なぜなら、第一線救護衛生科隊員(正式名称)は有事(戦闘行為)に限定した医療行為を行うものであるからである。

訓練研修のリアリティ

 自衛隊の「第一線救護衛生科隊員」(http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/meeting/kyumei/sonota/sonota.html)第一期生の教育研修が2017年5月11日から三宿の自衛隊衛生学校で始まり、最近では2018年6月に行われた。彼らは座学実技試験合格後は有事の際に彼らに許可された医療処置を遂行しなければならないため、線形アルゴリズムによる教育研修法ではあるがリアリティを求められている。確かに2018年の防衛セミナーでもリアリティが主題であり、外傷機転、シミュレーターも含めたシミュレーションなど訓練研修をより現実的にする方法論が紹介された。これは訓練でできないことは実践でできるはずがないという点では正解である。しかし、戦傷の場合は通常と異なり『devastating injury』と称されるように治療する側が途方に暮れるような損傷であり、外傷形態も多種多様で実践の経験が一番のリアリティーであり、これを訓練で正確に、かつ、忠実に想定することは難しく、この観点から戦傷医療訓練のリアリティの探究には限界がある。訓練研修のリアリティを追求しすぎるのではなく、医師のいないCUFにおいて経験も少なく基礎的な知識技術しかない第一線救護衛生科隊員が如何に自分に許可された能力技術を持ってdevasting injuryと戦うかが一番のリアリティーであり、そのためには治療の可否、継続と断念、処置困難に対する回避処置などを教えることが、一番のリアリズムと思われる。この上で、Trainingをexerciseとdrill に分けることが望ましい。前者は同じ訓練を何回も繰り返し手技や考え方を刷り込み、後者はシナリオ自体に想定外を設け臨機応変な対応を身に着けさせる。あくまでも教える側が教える目的や教条をもって、医師のいない戦場で医師の代わりを務めるのは第一線救護衛生科隊員のみであるというリアリティをもって教える必要がある。

前線医療

前線医療front-line medicine
 幸いにして我国は第二次大戦以来戦闘行為に巻き込まれなかったが、逆に医学的には戦傷医学の経験や知識が乏しいと言わざるを得ない。米国では戦傷で死亡した兵士の約90%は医療施設に到着する以前に死亡していたことから、combat medics(陸軍の衛生兵)、corpsmen(海軍の衛生兵)、PJs(pararescuemen空軍の衛生兵)による戦場での外傷処置の重要性に光を当て、TCCCC(Tactical Combat Casualty Care )ガイドラインに沿った戦場での医療行為が行われている。
 我国における戦傷医学の始まりは、明治10年(1877)の西南戦争時に佐野常民(さのつねたみ)・大給恒(おぎゅうゆずる)等が中心となり、傷病者救護を目的として組織された博愛社と思われる。日本赤十字社のHPによれば(http://www.jrc.or.jp/about/history/)、戦傷医学は日常の医学とは異なっているということに対する理解が得られず、必ずしも順調満帆ではなかったらしい。政府に対して救護団体博愛社の設立を願い出たが、当初この願いは認められず、その理由は、『このような考えは素晴らしいことではあるが、現地には救護に必要な医師等は派遣しており、医療は足りている。今、新しい組織を作って戦地に送れば、混乱をきたす。欧州では国家間の戦争の際に組織(赤十字)を作って救護することは知っているが、このたびの内戦にまで適用されるものなのかどうかは分からない。このような組織の創設は、平和な時に十分時間をかけて検討すべき。』ということだった。しかしながら、戦場ではおびただしい数の負傷兵が手当てもされず放置され、博愛社の設立を急いだ佐野は、征討総督有栖川宮熾仁親王に直接、博愛社設立の趣意書を差し出すことに意を決し、1877年5月、熊本の司令部に願い出、有栖川宮熾仁親王が英断をもってこの博愛社の活動を許可した。
 勿論、佐野常民等の人道主義は重要なことであるが、戦闘行為自体の是非とは無関係に戦傷を医学において学問的に追及する上でも通常医療と戦傷医療の橋渡し研究は必要不可欠である