孤立した環境下の多数傷病者事案:潜水艦衝突への医学的対応

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危機が都市から遠く離れた地域で起こった時には災害の準備がより困難になる。最も孤立した医療環境は恐らく世界中の海で何か月も勤務する米国海軍の原子力潜水艦の海中の環境と思われる。潜水艦の従事期間は陸で運び込まれた食料の量によってのみ制限される。乗組員は重篤患者の発生を減少させるため最も厳しいスクリーニングとモニタリングが行われ、結果として基本的に健康な若者(20歳代)が選ばれる。
 海中では潜水艦には独立した業務を持つ衛生兵(submarine-independent duty corpsman : IDC)が乗船している。彼らは海軍海中医学研究所(Naval Undersea Medical Institute)において12か月の臨床、検査、放射線の訓練コースを卒業している。訓練にはイエール・ニューヘブン医学センター(Yale-New Haven Medical Center)での4週間の重症治療(critical care)も含まれる。潜水艦で救急医療支援チーム(emergency medical assistance team : EMAT)が患者搬送や静脈路確保のような活動を含む基本的な治療を行ってIDCを支援する。彼らはIDCによって正式に訓練された乗組員から構成され、スキルは原則的に毎週教えられ、熟練度は周期的な演習(drill)で試験される。数名のEMATは救急隊員(EMT)として追加的な民間人の訓練も満たしている。洋上では基礎的な臨床検査機器、AED、200以上の薬剤、その他の医療資器材を積んでいる。IDCは衛星にて海洋医師(undersea medicine physician)と連絡できる。強固な医学能力を維持できるような計画にもかかわらず、予期しない出来事は現在のシステムを試し続けている。
症例
2005年1月8日原子力潜水艦U.S.S.SAN FRNCISCOが海山(海底からの山であるが水面に到達していない)と衝突したが、一番近いグアムの母港には2日以上の航海が必要になる。警告もなかったので138名の乗組員は衝突に身構える機会がなく、明らかな高速度の衝突で乗組員の90%が負傷した。加わった衝撃エネルギーの強さは潜水艦の船首の外部の損傷で明らかであった。

USS San Francisco


当初は重症者2名、迅速な医学対応の必要な負傷者22名、迅速な医学対応は不要であるが明らかな負傷を受けた32名、残りは単なる軽症との報告であった。約10%は全く負傷がなく、負傷しなかった者は一般にシャワー室、寝台のような非常に狭い閉鎖空間にいた。
 IDCも負傷者の1名であり、彼の注意は直ぐに2名の最重症者に向けられた。以前何らかの医療経験のある2名の乗組員が他の者の治療のためにIDCを補助した。最も緊急の対応が必要であったのは、頭部外傷、骨折、裂傷であった。当初の精神神経的負傷者の報告はなかった。任務続行可能な全ての乗組員は彼らの部署の仕事を行い潜水艦の作戦を続行した。

表.衝突に関連した最も重要な損傷
 骨折 9名
  上肢 3名
  頭蓋・頸椎 2名
  肋骨 2名
  頭蓋底 1名
  腰椎 1名
 脳震盪 9名
 肩脱臼 2名
 頭部/顔面裂傷 23名

 ある負傷者は衝突時に数フィート投げ出され致命的損傷を被った。頭蓋底骨折に関連した重症脳損傷から意識はなく、その後も意識は決して戻らなかった。次の24時間のほとんどをIDCはすべての努力を緊急脳神経外科治療のための後送に費やした。
 荒れた天気と海の状態は衝突後18時間までに到着するはずの水上艦艇による医療者の輸送を遅らせた。衝突後24時間までに、ヘリコプターが現地に医療チームを輸送でき、翌日港に着くまで乗組員の治療を継続した。精神科チーム(精神科医、精神療法士、従軍牧師)はグアムの港に着くと乗船し、ドックの前に迅速な支援の必要性が考えられる個人にインタビューした。到着すると29名は身体的損傷の更なる評価のため米国海軍グアム病院の救急室に搬送された。3名が入院し、1名目は頬骨と肋骨骨折を伴う気脳症、2名目は腰椎骨折、3名目は甲状軟骨骨折であった。
 衝突3か月後、乗組員の85%以上は健康で特に重い後遺症もなかった。全面的に任務に戻ることを妨げている医学的状態は主にメンタルヘルスであった。3か月後の評価が行われた後は全ての個人を追跡することはより困難になる。船が修理のためピュージェットサウンド海軍造船所に安全に海上輸送されればほとんどの乗組員は異なる地域に他の指令のために散る。潜水艦乗組員の多くはメンタルヘルスの理由から資格を失い潜水艦以外の職に就いた。衝突から2年後、2名の更なる乗組員が精神状態のため潜水艦任務から失格したが、身体的負傷を負ったの全ての負傷者は潜水艦の任務に復帰した。

表.衝突3か月後残った医学的問題
潜水艦の任務の間治療を受けて全復帰
頸椎ヘルニア 1名
未解決の親指損傷 1名
未解決の背部痛 1名
脳震盪後症候群 1名
治療を受け潜水艦では仕事せずに限られた任務
肩回旋腱板裂傷 1名
膝損傷 1名
メンタルヘルス 1名
潜水艦任務失格
メンタルヘルス(大半がPTSDありは適応障害) 11名

考察
 潜水艦がグアム到着後すぐに医学的対応の詳細な評価が始まり、その評価の中で認識された潜水艦の救急準備や災害対応の改善への推奨が実践された。新しい政策が68の原子力潜水艦からなる米軍潜水艦隊全体に適用された。新たな政策は完全に履行されフィードバックを得るまで過去2年以上追跡された。主な政策変更はコミュニケーション、訓練、衝突後治療の追跡である。
 医学的アドバイスは潜水艦隊、米軍太平洋艦隊(パールハーバー、ハワイ)の司令部からU.S.S SAN FRANCISCOに提供された。司令部は潜水艦からの医学的なアドバイスの要求の対応には数十年の経験がある。軍医(force surgeon)は医師チームが潜水艦に乗船するまで24時間周期の持続的医師のローテーションを維持する。しばしば1名以上の医師がいて、多数同時の医療ができるためとても有益である。最も時間と緊張がいる医療は意識がない重症頭部外傷患者である。衝突時はグアム地域に脳神経外科不在という事実によってこの状況は複雑になった。沖縄の基地からグアムに飛ぶ脳神経外科のために計画が実施され、その間、ヘリコプター経由で潜水艦からグアムの海軍病院まで患者をエスコートするため一般外科医が任命された。
 肉声や海軍のメッセージ交換を経由した長時間の医学的コミュニケーションはとても重要である。確実なメカニズムと一緒になった医学情報の鮮明な伝達は誤りを避けるため必要である。将来の事故に対して2つのアプローチが準備されている。一つは海軍海中医学研究所における専門的な教育要素が追加された。海中医学者全員はすべてのIDC同様安全な衛星通信、安全なチャットグループ、この事件中に使用されたその他のメカニズムの基礎を教授される。二つ目は包括的潜水艦司令部医学ガイドブックを発展させた。このガイドブックは情報のコンタクトやコミュニケーション方法の正確性を確実にするため毎年改定される。
 この衝突に対する医学対応はすべての負傷者に行われた医学的サプライや適切な治療のため目立った。このような成功は医療提供者への米軍潜水艦訓練ルート同様、現在の部署に必要な医学サプライの毎年の改定の有効性を確認した。しかしながら、この例には幸運な出来事がいくつかあり、無ければもっと違った結果だったと推測された。最も顕著なことはIDCが数少ない負傷しなかった者の内の一人であったことである。そのほかに、以前医学訓練を受けた2名の乗組員(1名はEMT、もう1名は潜水艦員になる前に衛生兵研修生(junior corpsman))がいたことである。EMATのメンバーとして誰も配属されていなかったが、この2名の人材が負傷者の治療には必須であった。衝突に続いて、ハワイ潜水艦研究は各船には一般的にEMTレベルの知識を持った非IDCの乗組員が必要なことを確信した。負傷した衛生兵あるいは1人では多数傷病者により圧倒されてしまう状況のバックアップを改善するための有効な方法はない。
 政策は追加のEMT、各潜水艦の乗組員で訓練された人材、を必要とすることから始まった。少なくとも正式のEMT訓練を受けた1個人がIDCを補助できるようにした。EMT訓練のためのボランティアは医学、消防、その他の救急分野に興味のある若者の乗組員集合から引き抜いた。2006年25のハワイ潜水艦員がトリプラー軍医学センターでEMT訓練を完遂した。同様な局所訓練プログラムがその他の潜水艦基地でも使用された。
 EMAT訓練の必要性は増加し、それには衝突後のストレッチャー上の患者の扱いの困難さによって誘発された、潜水艦による、または潜水艦から出るすべての出口における頻回の患者搬送訓練の必要性も含んでいる。異なる潜水艦のデザインや多様な形式のため、より多くの内容を含んだ毎年の訓練にて各潜水艦の特殊な患者の扱いに関わる問題を順向性に解決した。
詳細な治療の追跡は衝突で身体的負傷を被ったすべての者に実施された。慢性の間欠的筋骨格系の疼痛を訴える患者はしばしば潜水艦任務に耐えらないため特に重要である。潜水艦生活空間は睡眠区域は3段積み重ね個人寝台であり、仕事や生活空間も限界があり、人体を痛める可能性がある。身体的外傷は適切でタイムリーなリハビリを確実にするため密接な追跡が必要で2名の身体的外傷を持った患者以外3か月で任務に復帰した。
 衝突に関連するメンタルヘルスの認識や治療の順向性の強固なプログラムにもかかわらず、精神科的な障害は3か月時点の人材離脱の圧倒的な理由であった。以前の報告ではPTSDやその他のメンタルヘルス状態の可能性が認識されていた。海軍グアム病院は海軍船隊家族サービスセンターから学校心理士や免許を持ったソーシャルワーカーによる配偶者や家族の支援のアレンジ同様、生存者のためのすべての資源を専用化した。
 衝突後、最初の3か月以内に潜水艦の任務を実行するための能力に影響を与える状況のため精神科治療のフォローが必要な17名の潜水艦乗組員がいた。衝突による身体的外傷の程度と精神科的状態との関係がなかった。すべての潜水艦乗組員はその現在の状態を保持する努力にもかかわらず、衝突3か月後17名のメンタルヘルス患者のたった2名だけが完全な潜水艦任務に戻った。
 衝突後に精神科的フォローした比較的多くの者が部分的に潜水艦乗組員の厳しい精神的基準のせいにした。しかし、同じような精神科的疾病が1975年の海上の衝突に続いてみられた。U.S.S BELKNAP、誘導されたミサイル艦、が衝突し7名が死亡、以前入院の既往がない生存した329名の18名が次の3年間精神科的入院を必要とした。13名はノイローゼのため入院し、比較のために使用した別の誘導ミサイル艦からはたった1名であった。
 各々の状況は特殊で精神科医学の実践も時間や地理的地域で異なる可能性があるが、精神科的診断が海上での多数傷病者発生事故の将来的な追跡のためには当たり前のことになり続けるだろう。
結論
この例は孤立した環境におけるすべての災害準備計画のために普遍化できる3つの洞察を加える。
①言葉やインターネットのコミュニケーション能力の進歩に合わせ計画を改善すべきである。現在3.3億の世界規模の携帯電話の会費がある。心電図、医学写真、患者のビデオが衛星を経由して離れた場所から送ることができる。以前は大き過ぎ複雑な医学装置も現在は熟練者が信用できる長距離の案内を提供すれば、孤立した環境でも合理的に使える。
②負傷者の輸送や後送の日常的な訓練を確実にする。技術者やメカニックが通路、梯子、出口ルートに影響する物理的な装備を交換する時には医学人材は情報を知らされないかもしれない。
③書面に記した計画は適所に初期に強い医学的対応をすることであり、患者や家族に対するメンタルヘルス資源も含まれる。孤立した環境での個人の治療に対する医師の責任は最悪のシナリオの可能性を考慮し計画や訓練を適宜行うことである。この計画は有効な救急準備に合わせ変更し維持するため毎年再検査すべきである。