ロシアのウクライナ侵攻2年を経過した現在、敢えて休戦も考える必要あり。

 2022年2月24日ロシアがウクライナに侵攻してから2年余が経過しました。理由はともあれ、主権国家に対して侵攻すること自体は本来『正しいこと』とは言えません。しかしながら、我々は、第一次世界大戦、太平洋戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、などの経験から、各国の思う『正しいこと』の解釈は各国で異なっていることを学びました。また、残念ながら、戦争終結には、絶対的・圧倒的な軍事力的制圧しかない、ということも知っています。

 紛争・戦争は、宗教の違い、民族の違い、政情、大国の思惑、資源の奪い合い、などの原因で起こると言われています。すなわち、誰が考えても普遍的・絶対的に『正しいこと』が紛争・戦争の原因ではなく、各々の独自の原因により紛争・戦争に陥る原因があり、それは当事国以外には理解不能ということです。それを鑑みれば、当事国以外の第三国が当事国のどちらを『正しい』と判断するの基準も、判断する国の宗教、民族、政情、大国の思惑、資源などに基づいた価値観で判断されます。今回の紛争・戦争に関する国連の決議を見ても各国の価値観の違いが露呈しており、これが世界の現状という認識を持って外交を行う必要があると思います。我国のウクライナ支援は宗教、民族、政情、大国の思惑、資源などの判断基準の一体何を判断基準としたかが国民には示されず、た漠然とした『何を正しいこと』ためとの判断か、ただ盲目的・感覚的に、ロシアは悪で、ウクライナは善という単純な考え方に従って、支援しているとしか思われません。当事国以外に彼らの考えている『正しいこと』を分かるはずなく、にも拘らず、我国の周辺ではない遠いヨーロッパの紛争・戦争に著しい金銭支援を実施しているのは、恐らく民主主義の防衛という大国(米国)の思惑に踊らされており、我国の独自外交の姿が見えません。敢えて、どちらの当事国にも支援しないという選択肢もあったにも拘わらず、能登半島地震や子育て対策など本来我国自体にもっと必要とされる支援よりもウクライナに支援する方が優先する状況の説明がなされていないことは憂うべき現状と思われます。

 前述したように、過去の例からしても、戦争終結には、絶対的・圧倒的な軍事力的制圧しかないことから、現状でのウクライナとロシアの戦力分析がとても重要です。マスコミも含めて、ウクライナ寄りの報道が目立ちます。しかしながら、多くの経済制裁を受けているにも拘わらず自力で戦闘を維持できてるロシアと砲弾も含めた兵器を他国からの支援によって戦闘を維持しているウクライナでは、余程のことがない限り、ロシアの優位性は動かないはずです。さらに、米国など直接的に関係の浅い国では対中国の政策上、この紛争・戦争の結果が問題ではなく、ロシアの兵力を削ぎたいという理由であったとしたら、十分その目的は達せられたと思われ、支援の継続は今まで以上に増加はしないと考えられます。最近ではゼレンスキー大統領も西側の支援疲れに危機感を感じていると報道にもあります。つまり、支援を他力本願に依存している以上、自前のロシアに勝利するのは著しく困難と考えるのが当たり前なのですが、多くのマスコミはウクライナ寄りの報道を繰り返しています。

 ウクライナ支援のほとんどは紛争・戦争継続のものであり、何も生まない支援であるだけではなく、インフラの破壊のみならず負傷者・志望者を増やしていっています。セレンスキーやプーチンのメンツによって、多くのウクライナ人・ロシア人が負傷・死亡している現実を考えれば、イデオロギーや大義名分を捨てて、自国民のために敢えて休戦するという方法も考える時期であると思われる。我国もウクライナ・ロシアの両者の被害がこれ以上に拡大しないよう、漫然とした支援ではなく、敢えて休戦を行うように進言する外交の力が望まれる。

JALと海保の固定翼機の衝突の際に救助活動に役に立った、航空業界の「90秒ルール」

 2024年1月2日のJALと海保の固定翼機衝突の際に、JALの乗客や乗員員の救助に貢献した「90秒ルール」について、解説したい。

 出口からの脱出は競う合うから脱出が困難になると言われ、西成活裕先生が「渋滞学」という学問で紹介している。それによれば、流動係数(出口幅1mあたりに1秒間に何人が出るか)については日本の建築基準法ではほとんどの場合1.5程度であり、例ロして、幅50cmの出口から10秒間に5人退出するとすれば、流動係数は5×100/50÷10=1人/m・sと計算される。流動係数はボトルネック幅70cmまでは高く、が70から120cmの幅で一定で、120cmを超えると流動係数はかえって低下する。肩幅40cmでは蟹歩き、70cmではお見合い、120cmでは真ん中に集中し、出口な幅が有効に利用されない。

 このように、退出する際には、出口の大きさも考慮しないと、ボトルネックとなり、human stampede(人の殺到:いわゆる糞詰まり)を起こし、退出がより困難となる。飛行機の退出口もこのような設計施行に基づいている。

 今回の脱出の「90秒ルール」とは、「乗客乗員全員が航空機の全ての脱出口の内、半分を使用して90秒以内に脱出可能でなければならない」というアメリカ連邦航空局が制定した規則により、国際航空運送協会(IATA)が遵守しなければならない規則のことである。ちなみに、筆者が搭乗したBoeing747-400(最大搭乗数:568名、脱出口:12個所)では、脱出口は6箇所使用するので、1脱出口当たり568÷6≒95人脱出口の幅が1mなら、1秒間に1.5人脱出できるので95÷1.5≒63秒という計算になる。乗務員の誘導に従って、落ち着いて競い合わずに脱出行動をすれば、Boeing747-400であっても、63秒で脱出できる計算になる。

 このような、ボトルネックになるような出口や階段には、このような流動係数が算定されており、ある程度知っておくほうが大きな危機の際に役に立つと思われる。

防衛医科大学校のそもそもの設立意義はなんであったのであろうか?期待通りの成果が得られたのであろうか?国会や予算委員会の議事録から考えてみる。

 『防衛医科大学校医学科は、将来、医師である幹部自衛官として必要な人格及び識見を養い、また自衛隊医官に対して自衛隊の任務遂行に必要な医学についての高度の理論、応用についての知識と、これらに関する研究能力を修得させるほか、臨床についての教育訓練を行うことを目的として設立されました。』と防衛医科大学校のHPに記載されている

 しかしながら、防衛医科大学校設立の目的は、第65回国会衆議院内閣委員会第8号昭和46年3月16日を読みとく限り、自衛隊医官の充足医対策であったようである。以下、この目的を読みとくための第65回国会衆議院内閣委員会第8号昭和46年3月16日の必要部分を掲載してある。

 第65回国会衆議院内閣委員会第8号昭和46年3月16日において、鈴木一男政府委員は『自衛隊の医官は、御案内のごとく非常に不足いたしておりまして、私どもは、わが国全体の立場から考えましても、防衛庁は医官の確保の面で見ますと社会的僻地と考えておりますが、そういう面でやはり抜本的に医師の絶対数をふやすという立場に立ちまして、この際大学をつくって絶対数をふやし、歩どまりをよくしていきたいというふうなことを考えておるわけでございます。御案内のごとく、現在までに防衛庁がとっております医官の充足対策といたしましては、貸費学生制度、これは現行月額六千円になっておりますが、その他人事、処遇の改善、医療施設の近代化並びに航空自衛隊の航空医学実験隊というものが立川にありますが、これらの整備拡充並びに海上自衛隊の潜水医学実験部が横須賀にございますが、これらの整備拡充につとめて医官の定着をはかってまいりたいと思っておるわけでございますが、いままでの諸施策ではなかなか医師が定着しないし、また集まってこないというようなことで、やはり独自な絶対数確保の立場で防衛庁所管の医科大学をつくってまいりたい、このような構想を持っておる次第であります。』東中光雄委員『自衛隊の医官不足をなくしていって定着させる目的だということですから、そこで構想されておる防衛医科大学校の卒業者は、自衛隊に勤務することを義務づけるということは、これは設立しようとされている趣旨からいって当然そうなると思うのですが、そういう構想ですね。』東中光雄委員『中曽根防衛庁長官が、いろいろ検討し、各省とも折衝した結果、各種学校としての防衛医科大学校をつくりたいと考える。「防衛医科大学校の卒業生が医師の国家試験を受けられるようにしなければいけない。」そういう構想で進めておるのだという答弁を参議院の内閣委員会ですが、やられたことがありますが、そういう構想は持っておられるわけですね。』東中光雄委員『大学の場合は、学校教育法の五十二条でその目的がきまっているわけであります。防衛医科大学校といわれている場合はそれからはずれるわけですから、全然目的違うわけですね。違うものとしてやはりつくっていこうという構想。』松下簾蔵委員『防衛庁のほうから、防衛庁に勤務しております医官の充足の状況から見まして、その確保のための養成機関を何らかの形でつくりたいという強い御要望があるということは伺っておりますし、私どもも承知いたしております。それをどのような形で今後実現していくかということにつきましては、先ほど防衛庁の衛生局長からもお話がありましたように、四十六年度におきまして調査費が計上されるという予定であると伺っておりますので、その段階におきまして関係各省との間にさらに詰めた協議が行なわれるであろうと考えておりまして、その過程で厚生省といたしましてもいろいろな事情を含めて十分検討いたしたい、そのように考えております。』 東中光雄委員『学校教育法にいう大学の場合は、先ほども申し上げたように、たとえば目的をこう書いていますね。「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」、「知的、道徳的」云々となっているわけですが、防衛医科大学校という場合では、医官の確保というところから出発しているという点で、これは態様がごろりと変わってくるわけであります。しかも国民の健康にあるいは生命に直接関係のあることで、一般的な資格がそういう特殊なルートから与えられていくということになると、これは非常に大きな問題が起こってくるのではないか。特にいまお医者さんの不足というのは、防衛庁の特殊な現象ではなくて、全国的にも問題がいろいろあるわけですから、この機会にお聞きしておきたいのですが、戦後における国立、公立、私立の医科大学、医学部の設置状況これはどういうふうになっておりますか。』東中光雄委員『国全体でそれはあまりふえていない、むしろ一般の大学のふえ方から見ても非常に押えられていると思うのですが、防衛庁だけが医官不足ということじゃなくて、防衛庁に医官が集まらないというのは、それはまた別の理由があるのであって、だから別の体系の医官養成機関をつくっていくというふうなことは絶対に許されるべきじゃないというふうに私たち考えるわけです。四千三百八十、これは入学定員ですけれども、こういう状態でいまの阪大の入試問題なんかが起こってくる一つのもとがあったのじゃないかというふうにも思うわけですが、阪大の入試不正事件を契機にして、医者の養成、医科大学なり大学医学部の制度と申しますか、そういう点でどういうふうな方針なり反省なりをされておるか伺いたいと思います。』東中光雄委員『全国では無医村が三千地区ある。そこはやはり医師を要請しています。沖繩だってそうであります。そういう医師の要請があるからということで今度は医師の養成制度がどうなるかといえば、先ほどの私学の場合のように、これはとてつもない金がなければ入れないような差別が一方でやられている。機会均等が実際上奪われるような社会的不合理性が一方では露呈しておる。一方では官費で、それから給料まで出して防衛庁の医官養成をやっていく。しかもこれは明治以来の体系からはずれる体系のものとしてそういうものがつくられていく。非常に不合理なんですね。これは国民は納得しないですよ。防衛庁に医官が集まらない、定着しないというのは、その原因は何かということを追求すればいいんで、集まらないから、だから国費で特別の養成制度をつくって、しかもそれに一般の医師養成機関と同じような資格を与えていくというような、こういうやり方になると、軍事優先といいますか、必要ならば防衛庁だけは国家予算でどんどんやっていく、一般の医師の養成制度というものを体系的に変えていくようなこともやられていくということになれば、これは医師養成の教育制度を、やはり文部省として、医学校なり医科大学なり大学医学部なりを設置し、その数、要請に応じて、そういう養成制度というものは立てられておるはずなんで、その中で特殊なものだけを軍事優先的なかっこうで認めていくというのは、どうしても納得いきません。それはもう防衛庁は防衛庁の中でやっておることだから、水産大学校なんというのと性質が違うわけですね。そういう点で、ひとつこれは医学の養成制度として全般的に非常に不合理なものが露呈しておりますので、根本的に検討していただかないと困る。このことを強く要請いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。』

 では、充足率は期待通りの成果を上げたのであろうか?政府・防衛関係者の期待通りの結果であったか否かは別として、一定の成果は得られたと思われる。以下に、関係する議事録の抜粋を示した。

 第71回国会参議院本会議第20号昭和48年6月15日では、①上田哲委員の発言『・・自衛隊が、学校教育法上の医科大学でない施設で、特別な目的のために医師を養成することは、医学教育の秩序を乱すものであることは疑いをいれません。これは、質の低下を招くおそれがある上に、この点について責任の所在も求められないだけでなく、特に、一般国民への利益給付は何も期待できないのであります。また、現在、自衛隊の医官は不足とは言いながらも、二百七十一人は確保されているのでありまして、これは自衛官八百五十八人に一人の割合となり、国民一般が九百二十人に一人の医師の割合の中にあるのに比べるならば、決して低い水準ではありません。また、自衛官が年間医師にかかる回数は、一般の五・八一回に対しまして、二・七回と、半分にも満たないという実態もあるのであります。ここに百九十億円の国費を投ずることは、国民全般の医師不足の実態から見て、医療行政上均衡を失する優先処置と考えなければなりませんが、厚生大臣の見解を承りたいと思います。』 ②第71回国会衆議院本会議第47号昭和48年6月28日では、中路雅弘委員の発言『第二の重要な問題点は、防衛医科大学校の設置であります。政府は、防衛医科大学校の設置は自衛隊における医官不足を補うための医官の養成だと説明していますが、その真のねらいは、中曽根元防衛庁長官の訪米報告で明らかなように、アメリカの近代軍事医学、軍医技術を吸収し、米軍援助のもとに、自衛隊による軍事医学研究者の養成及び軍事医学研究を進める体制をつくり上げることにあることは明らかであります。アメリカの近代軍事医学とは、あのベトナム、インドシナ地域において、ボール爆弾や各種の毒ガス、枯れ葉作戦などに代表されるような、残虐な殺傷に使用されたものであることは否定することのできない事実であります。防衛医科大学校の設置がアメリカ近代軍事医学、軍医技術を吸収することを目的としていることは、自衛隊が人民を殺傷するための生物化学兵器の大規模な開発と研究に踏み出すためではないかという重大な疑惑を持たざるを得ないのであります。わが党は、この点を質疑の中で指摘しましたが、政府、防衛庁は、将来どんな研究が行なわれるか、具体的な問題についての答弁をことさら避け、国民の疑惑が根拠のないものでないことを浮き立たせたのであります。また、防衛医科大学校設置が、あの戦前の軍国主義時代にさえなかった自前の医官養成、軍事医学研究体制をつくるという点でも、さらにまた、教育基本法並びに学校教育法に基づく学問・研究の自由を奪った違法なものである点でも、黙視できない重大な問題であります。』 ③第71回国会参議院内閣委員会第29号昭和48年9月18日では、鈴木一男政府委員『病院におきまする医官の状況でございますが、まず陸上自衛隊におきましては、定員百七十二名に対しまして現員が百二十八名、充足率は七四・四%であります。次に海上自衛隊におきましては、定員が三十九名に対しまして現員三十二名、充足率は八二・一%であります。次に、航空自衛隊でございますが、定員二十二名に対しまして現員十四名、充足率は六三・六%でございます。』一方、部隊におきましては、陸上自衛隊につきましては、定員四百五十二名に対しまして現員五十九名、充足率にいたしまして二一丁一%、次に海上自衛隊におきましては、定員七十三名に対しまして現員十一名、充足率一五・一%であります。航空自衛隊におきましては、定員七十八名、現員二十四名、充足率三〇・八%でございます。 ④第208回国会予算委員会第一分科会第2号(令和4年2月17日(木曜日))において、松本尚文科員の質問に対して鈴木政府参考人は『まず、医師の資格を持つ自衛官につきましては、令和三年三月三十一 日時点で、陸海空合わせて約九百九十名おります。そのうち、外科専門 医が約五十名、救急科専門医が約二十名、アキュート・ケア・サージャ リー学会認定外科医はゼロ名となっております。また、看護師の資格を有する自衛官は約千七十名おります。そのうち、 救急看護認定看護師数はゼロ名、集中ケア認定看護師数は若干名いるということになっております。また、年間のISS十五以上の重症外傷例につきまして、自衛隊中央 病院においてでございますが、正確な統計は取っておりませんが、年間 数件程度と承知しているところでございます。』

 1974年の開校から2023年現在までの卒業生総数のデータはないが、自衛医官は1973年の271名から2021年約990名と約719名、48年間に719名増えた勘定になる。単純計算では毎年約15名増加してきたことになる。この数字が期待された数値であるとは到底思えないが、自衛隊医官の定着に関する有効な手段は示されていないと思われる。また、新たに防衛医科大学校に戦傷医療センターなるものが設置されるというが、戦傷には外科系医師が多数必要であるはずが、令和三年三月三十一 日時点で、陸海空合わせて約九百九十名、うち、外科専門 医が約五十名、救急科専門医が約二十名、アキュート・ケア・サージャ リー学会認定外科医はゼロ名という体制で本当に戦傷医療に対応可能なのか、はなはだ疑問が残るのは私だけであろうか?

 医学教育第18巻第1号1987年2月防衛医科大学校副校長医学教育部長高谷 治著「わが国におけるプライマリ(ヘルス)ケアの卒前教育の先導的試行」において、建学の精神として以下のように記載されている。『約15年前に防衛庁として独自の医大が必要であるかどうかについて、故武見太郎先生を委員長として9人の医学界等の学識経験者からなる大臣に対する特別諮問委員会(懇談会)ができ、検討の結果の答申に基づいて設立されることとなったのが防衛医大であるが、その答申の内容の医学教育に関係する部分の大略は以下のとおりである。すなわち、「新しい時代における医療とそれに即応した医療教育のあり方について、問題点の十分な認識のもとに、従来の医師養成のあり方に対する反省の上で現在の医師養成の長所を取り入れるとともに、将来の医療のビジョンを考え、新しい見地からその養成を図ることが適切と考えられ、人格、識見ともにすぐれた有能な総合臨床医の育成を目標として医学教育を実施すべきである。ここでいう総合臨床医とは、一般内科一般外科を基礎とし、人間の健康,疾病に関与する肉体的のみならず、心理的、社会的要因までも理解できるように幅広く訓練され、単独に、あるいはグループ・プラクティスの一員として総合医療を適用できる知識と能力をもつ医師を意味する。さらにその上で医学の本質に則り、専門領域に関する高度の医学研究の遂行が卒業生においてできうるよう必要な方途を講ずるべきである。」としている。これをいいかえれば、従来の医学臨床教育の反省を加味して将来の一般的国民医療のニーズに答えるため、従来の文部省系医科大学の医学教育に加えて総合臨床教育を行い、総合臨床医プラス専門医を作ることが、ひいては自衛隊現状のニーズに答え、また災害等の非常事態にも備えての医療の必要に応じうることとなるという考え方である。』すなわち、1987年の時点では防衛医科大学校は「従来の文部省系医科大学の医学教育に加えて総合臨床教育を行い、総合臨床医プラス専門医を作ること」の精神に基づいて教育を行ったいたと思われる。このプライマリーケアを育成する方針では、どう考えても戦傷医療には対応できないと思われるが、いつの時点から、防衛医科大学校は戦傷医療のスペシャリストになったのであろう?ご存じの方がいれば、是非教えて頂きたい。

戦争における医療の2面性

 戦争における医療には、①軍という組織における医療、すなわち、軍の支援(戦闘の勝利・継続)、②負傷兵・負傷者の治療という医療そのもの、すなわち、医学学問体制、という2面性を持っている。その違いを簡単に表にまとめた。

 戦争とは国と国と戦い、紛争とはイデオロギーの違いによる衝突、テロとは個人や組織の主張の達成のため一般市民も含めて脅迫する事件、ということであるが、各々異なった形で医療を巻き込んでいく。以下の表にテロによる負傷者と戦傷負傷者の相違をまとめた。

 戦争、テロにおいては、そのパターンに違いはあるが、その際の医療は、基本的に最初に示した表のような2面性を持っている。

 軍事医療においては,病院も攻撃目標となり得る。何故なら、軍の一部であるかあらである。北朝鮮も含めて、ミサイルの照準は高度化しており、誤爆などは少なくなっている。マスコミでは、よく病院が爆撃されると短絡的に誤爆という表現をするが、戦略上は病院は大きな目標になり得る。テロリストから見ても病院を攻撃することは安全安心の象徴を攻撃することにより市民に著しい恐怖を与えられる。一方、テロリストは病院に立てこもって戦うことは病人を盾に戦えるので、戦略的にも病院に拠点を設けることは戦略上有意義である。

 倫理観は常に普遍的ではないので、より悲惨さを強調した方が、第3者の倫理観を悲惨さを強調した側になびかせ、結果として病院への攻撃という戦略は有効になる。より悲惨な画像をメディアに流し、世界の世論を動かすことは最も重要な戦略となっている。戦争自体は、常に非人道的であり、どちらがより人道的という議論は成り立たず、両者が常に非人道的である。人道的という普遍的なものを利用して、普遍的ではない倫理観を動かしてしまう戦略があることを忘れてはならない。

 イスラエルとパレスチナでは、イスラエル側が2000年から2009年まで146回の特攻攻撃(自爆テロ)により516名が死亡し8,022名が負傷した。2006年にはレバノンのヒズボラの戦闘員による4,000発のミサイルで、Western Galilee病院が爆撃された(すべての患者を地下に避難させたため負傷者は1名もなかった)。怪しい男がショッピングセンターに近づいてのを発見した女性警察官が発砲をためらった結果モール内で自爆した。2002年若いパレスチナ女性は妊婦を装い自爆テロの計画を立てた。パレスチナの救急車は武器や武装した人間を搬送し、医療従事者に脅威を与えていた。例を挙げたら数えない切れないくらい、イスラエルもパレスチナも日々身近に大きな脅威が生じている。日常的に脅威を感じていない日本人にはこのような緊迫した状況は恐らく理解できないであろう。生きるか死ぬかの生存競争に置かれている状況に対して平和な状況に置かれた者には、その人達の価値観や倫理観を推し量ることは不可能である。どちらかに肩入れするのではなく、戦争は両者とも非人道的であるという認識をもって対応するべきと思われる。

対ロシア外交は米国追従だけで、我国の国益は守られるのか?戦略的外交が今こそ必要な時期である。

 鈴木宗男参議院議員の訪ロが問題になっている。鈴木議員の考え方にはいろいろな賛否があると思われる。しかしながら、鈴木議員の『今、日露関係は極めて悪い。厳しい環境だ。だからこそパイプは持っていたほうがいい。』という発言はとても重みのある発言であると思う。

 以前にも話したが、ウクライナのゼレンスキーが善玉で、ロシアのプーチンが悪玉で、世の中勧善懲悪ドラマを期待しているが、戦争においては、一方が完全なる善で他方が完全なる悪ということはない。勝てば官軍という言葉通り、戦争に勝ったものが善になるだけである。その基本に立脚した場合に、現在のように、ただ漫然と米国追従でウクライナを支援し続けていることに大いなる疑問を呈する。

 トルコのエルドリアン大統領やインドのモディ首相のように、「空の青、海の青にも染まらず」という基本姿勢、すなわち、ロシアにも米国にも染まらず、自国の利益を最優先に考え外交を実践するしたたかな戦略外交を模索すべきである。

 戦略的外交には、鈴木議員のような考え方の異なる議員の意見をも取り入れ、ロシアと米国を手玉にとるような外交を期待するし、そのような内閣でないと我国の背科的な存在感はさらに低くなるであろう。

幹部自衛官の教育は自衛隊を軍隊とする憲法改正に十分なのか?

 2023年6月30日集英社オンラインの『自殺未遂、脱走、不審火、新入生をカモにした賭博事件…改革急務の危機に瀕する防衛大学校の歪んだ教育』を読んだ。防衛大学校で教鞭をとる等松春夫教授の論考『危機に瀕する防衛大学校の教育』についてのインタビュー記事である。

 等松教授の指摘に関しては、単なる内部告発としてとらえるのではなく、幹部自衛官の行末を心底案じた上での教育に対する熱意が表れていると思われるので、ぜひ全文を読んで頂きたい。

 気になるのは、『本校教官の意見発表に対する防衛大学校長の所感』である。基本的所感の中で、『・・・もとより教授の防大をよくしたいう気持ちについて異を唱えるつもりはありませんが、全体として極めて遺憾な内容であると感じています。論考の題名は「危機に瀕する防衛大学校の教育」となっていますが、改善の余地はおおいにあるとしても「危機に瀕する」という表現には違和感を覚えます。また、議論の少なくとも一部は、事実ではなく推測に基づいていると感じられます。それによって子の論考は本校の名誉を大いに傷つけたと判断しています。具体的あるは建設的な提言がないのも残念です』と言っています。しかしながら、等松教授は現状の体制では防大の教育改革は内部からの声では困難・不可能と判断し、外圧による変化しかないとの思いから論考を書いたことを語っています。校長は防大の教育の最高責任者として、苦渋の選択で論考を発表した等松教授の意志を高く評価し、真に改革をしようという方向に向うべきと思います。所感が面子や体裁を作ろうという姿勢に見えてしまっていることは極めて遺憾と言わざるを得ません。

露軍の戦傷医療は万全か?

 2023年4月28日「ロシア兵の戦死者の半数は適切な応急処置、治療がなされなかったせい」とう記事を読んだ。その中で、『多くのロシア兵が戦場で亡くなっていますが、アルテム・カトゥリンによれば、その半数以上は即死や致命傷によるものではなく、適切な応急処置と治療を受ければ命は助かっており、適切な止血を行っていれば、手足を切断することも無かったと述べています。それはつまり、未熟な兵と応急処置に対する訓練不足、処置のためファースト・エイドキットの不足と、負傷者の搬送体制が無かったことが理由として挙げられます。Oxford Academicの発表によると事故、戦場での負傷に関わらず、外傷性による死因の35~40%が出血死によるものです。負傷した際は素早い止血と早急な輸血が生死を分けます。しかし、ロシア兵の応急処置キットは古く、ソビエト時代に作られたと思われる包帯と簡易的な止血バンドといった最低限の物しか付与されておらず、多くの兵が現代的な救急キットを持ち合わせていないことは確認されています。また、動員兵が招集された際、訓練教官が集まった兵に「銃で撃たれたら銃創にタンポンを詰めて止血しろ」と言っている様子が撮影されており、上級兵でさえも応急処置の知識、訓練が不足していることが伺えます。例え止血できたとしても、輸血は必要であり、長時間止血すれば手足が壊死してしまうので、早急に後方に搬送し、治療が必要です。しかし、ロシア軍はこの搬送体制も整備されていないとされています。侵攻する側のロシア軍ではありますが、ウクライナとは陸続きであり、現在は国境に近い東部で戦闘を行っており、決して兵站ルートが長いわけではありませんが、拠点から50km離れると補給が困窮すると言われています。』そこで、露軍の戦傷医療について、文献上の考察をしてみた。 

 ロシアにも戦傷の研究がないわけではない。ロシアのMirzeabassov等は、防弾服着用時の防弾背面鈍的胸部外傷(Behind Armour Blunt Trauma)の疫学調査を行っている(Mirzeabassov, T. , et. al : Further investigataion of modelling for bulletproof vest, Personel Armor Safety Symposium, Colchester, UK, 2000)。ソビエトのアフガン侵攻時、1.25mmと6.5mmのチタニウム板を用いた防弾服を着用し胸部を撃たれた17人の軍人を対象とした。武器は7.71mmEnfieldもしくは7.62mmAKM。胸部外傷のレベルとしてレベルⅠ(皮膚の擦過傷、点状出血、皮下血種、局所の血胸)からⅣ(内臓破裂・挫傷、脊椎損傷)、交戦性と胸部外傷との関係をレベルⅠ(1から3分交戦不可能、15分間の交戦制限、24時間以内に回復)からⅣ(即死、合併症死、生存者の戦意喪失)に分類した。

 しかし、この疫学的データを理解する時に、アフガニスタンにおける戦争からも検討する必要がある。つまり、アフガニスタンでは、90%以上の負傷者が航空後送されたが、たった4%が中央軍病院に6時間以内に搬送されたのみであった。すなわち、病院到着前に死亡していたことになる。重傷は遅れた治療により致命的になる。戦傷治療はソビエトと米欧では著しく異なると指摘している。

 以上から、露軍の戦傷医療が現場における処置だけではなく、後送も含めた治療戦略、すなわち、全軍的なTCCC(Tactical Combat Casualty Care)がないと推測される。

 我国も今回のロシアのウクライナ侵攻に関して、防弾チョッキを提供したとの報道があった。ここで考えるべきことは、この防弾チョッキにおけるBABT発生に関する資料提供も行われたか否かが重要である。防弾チョッキは万能ではなく、性能の限界を知って初めて有効になる。

G7の視点は偏っていないか?

 日本維新の会の鈴木宗男参院議員は21日、自らのブログで、「G7で『一にも二にも停戦だ。お互い銃を置け。我々が仲介に入り両方の話を聞く』という声が出なかったことに失望する」と書き込んだ、という記事を見た。私自身はこの意見は物凄くまともな意見であり、高く評価されるべきと考える。世界全体を俯瞰すると称するG7であるなら、両国のメンツなど様々な障壁を超える知恵を出し合い、終戦・停戦を議論すべきと考える。今回のG7では、一方的にウクライナのゼレンスキー大統領だけを招待し、当事者のロシアのプーチン大統領を招待しないこと自体、「ロシアが極悪非道でウクライナが正義」という西欧社会の一方的視点からの発想と思われるが、我国もこのような偏った視点でよいのであろうか?ウクライナに対する現在の支援の大部分は結局戦闘維持に使われ、それは多くの死傷者を生み、両国国民の犠牲を拡大するだけである。支援は本来生産的価値を生むものを対象とすべきであり、現在のウクライナ支援は何ら生産的価値を生まず、破壊を生むだけである。国家や政治家のプライドや理念によって市民を犠牲にしてはいけないという当たり前のことがロシアとウクライナの両国にかけていると思われる。

 今回のロシアのウクライナ侵攻は「大義も正義もない戦争」と一刀両断されるが、それはロシアの視点ではなく、評論家や発言者自身の視点である。発言者自身から見て「大義も正義もない」ことかもしれないが、ロシアにとっては「大義も正義もある」ことなのである。確かに今回のロシアの進行は身勝手で決して正しいとは思っていないが、ロシアにとっては大義も正義もあったこそ、侵攻したのである。このようなロシアの思想背景や状況を考え、ロシアとウクライナの両者の意見を聞くことが必要であると思われる。この相互理解への探求精神が世界全体の平和に必要不可欠なものである。

 2022年4月7日当ブログでも『ロシアのウクライナ侵攻における一方的な報道で『ロシアが極悪非道でウクライナが正義』というステレオタイプに陥っていないか?』というタイトルで、精神科の和田秀樹先生の「「プーチン=極悪非道、ゼレンスキー=正義の味方」そんな安直な思考が見落とす重要事実」という記事を紹介した。残念ながら、今回の鈴木議員もロシア寄りというレッテルを張られ、鈴木議員の主張はまともに論議されることもない我国の現状はあまりにも世界の半分に満たない西欧社会の価値観に迎合し過ぎている危惧があるのは私だけであろうか?

 このブログを書いている際中に、G7の主体国であるブラジルのルナ大統領の発言の記事の中に、ルナ大統領は「ウクライナとロシアの戦争のためにきたわけではない」として、その議論は「国連がやるべきだ」と批判した」とある。まさにその通りであり、この発言こそ、議長国である日本が発すべき言葉であったと思われる。

要人警護に関しては、もはや警察内部だけではなく、警察外部も含む抜本的改革が必要と思われる

 またまた、要人に対するテロ行為が行われた。安倍元総理の襲撃事件の経験は生かされていたのであろうか?、岸田総理の警護の仕方や民間人の勇気ある行動による犯人の確保など、はなはだ多くの疑問が残る警護と言わざるを得ないと思われた。幸い負傷者がいないから、「結果よければ全て良し」とは簡単に済ませられない、由々しき問題と思われる。

 週刊女性PRIMの『岸田首相襲撃に専門家「一般人が取り押さえた時点で警備はゼロ点」警察の落ち度と“安倍元首相のトラウマ”』ではいくつかの課題を分析している。その中に『安倍元首相の事件をきっかけに警備体制は見直された。警察庁が警備計画を制作し、和歌山県警と密に連携していたはずだが、』という一文があったが、私にはそうとは思えない。安倍元総理の襲撃事件の事後検証自体が犯人の動機を初めとして疑惑の銃弾の行方なども含めて、余りにも警察の密室的で短絡過ぎた結果の延長戦上に、今回の要人警護の不備があるものと思う方が妥当であると考えるべきであろう。広島サミットの要人警護の訓練を見ていても、あまりにも緊迫感がなく、非実践的であると思っている方は多いと思われる。

 今回の件を警察内部の閉鎖的な分析検討だけではなく、警察外部の専門家・知識人を交えた実践的な要人警護を目指さない限り、不幸な事件が今後も継続する可能性は否定できない。

今度こそ客観的評価に耐え得る事後検証が望まれる

 2023年4月6日陸上自衛隊のUH60Aヘリコプターが消息を絶ったという報道があった。これに関して目撃情報消失の2分前には管制塔と無線連絡を交わしていたという情報考えられる原因を推測するなどの報道があった。

 自衛隊の事故に関しては、当ブログでも2022年2月2日空自、2021年5月8日海自などを取り上げてきた。事故を減らすには客観的な、かつ、一般の評価に耐え得る事後検証の必要性を強調してきた経緯がある。報道では、『「航空事故の原因は一般的に3つに類型が分かれる」といいます。1つは「人為的なミス」、それから「機体の不具合」、そして「鳥などとの衝突」が考えられる指摘されている』が、これらについて具体的、かつ、詳細な分析・検討がなされるべきであろう。人為的なミスであれば、パイロットの飛行時間、UH60への熟練度、身体精神的健康状態、既往症、飛行前の身体的精神的チェックなど本人の飛行熟練度の他、身体的精神的能力のチェックの詳細な分析、機体の不具合であれば、機体本来の弱点、特徴も含めた整備状況の検討、突発的な事態であれば、天候状態などの自然環境、管制塔の指示指導体制はもとより、回避処置・手段の手順の適応性、など客観的な分析・検討・評価が必要である。

 消失の2分前には無線連絡を交わしたとされ、報道では『わずか2分』という短時間に何が起こったのか?ということに論点が置かれていたし、その疑問は当然である。しかし、一方、2分間という時間に緊急連絡もできないほど自衛隊の通信伝達網は脆弱なのか?と危惧さえ感じる。戦闘になればヘリコプターが撃墜されることもあり、時間との戦いが隊員の生死を分けるはずであり、実際に自衛隊のドクトリンにも60分以内の戦傷医療開始が謳われており、わずか2分間なれどされど2分間という時間は緊急連絡に関しては十分な時間と思われる。2分間の時間の重大性が理解されていなければ、台湾有事の際に自衛隊は隊員の命を守れるか、はなはだ疑問である。