ロシアにも戦傷の研究がないわけではない。ロシアのMirzeabassov等は、防弾服着用時の防弾背面鈍的胸部外傷(Behind Armour Blunt Trauma)の疫学調査を行っている(Mirzeabassov, T. , et. al : Further investigataion of modelling for bulletproof vest, Personel Armor Safety Symposium, Colchester, UK, 2000)。ソビエトのアフガン侵攻時、1.25mmと6.5mmのチタニウム板を用いた防弾服を着用し胸部を撃たれた17人の軍人を対象とした。武器は7.71mmEnfieldもしくは7.62mmAKM。胸部外傷のレベルとしてレベルⅠ(皮膚の擦過傷、点状出血、皮下血種、局所の血胸)からⅣ(内臓破裂・挫傷、脊椎損傷)、交戦性と胸部外傷との関係をレベルⅠ(1から3分交戦不可能、15分間の交戦制限、24時間以内に回復)からⅣ(即死、合併症死、生存者の戦意喪失)に分類した。
そこでNational Academy Pressの「Making the soldier decisive on future battlefields(兵士を将来の戦場で決定的にすること)2013」を読んでみた。米軍はイラク、アフガン以降、兵士の教育について大きな変革をしたようである。論文の冒頭に以下の記載がまとめられている。
『米軍は兵士、水兵、航空兵、海兵隊が「公平な土壌(level playing field)」で敵と戦うべきではないと信じている。戦闘員個人は勝つために戦闘に参加する。そのためにも、M1A2戦車、F22戦闘機、シーウルフ型攻撃潜水艦のような、敵の潜在的能力に匹敵するような武器、決定的な武器を開発するために国はその技術力と産業力を駆使してきた。しかし、国は現在『持続的な紛争の時代(era of persistent conflict)』と認識される事態に従事し、そこにおいて、もっとも重要な武器は小部隊として活動する歩兵であると言われている。ベトナム、朝鮮、第二次世界大戦以上に、今日の兵士は通常の敵や不正規の敵の両方と戦う準備をしなければいけない。イラクやアフガンの結果から米国の兵士は手ごわい戦闘員である一方、その当時の一連の器材と支援は巨大な武器群によって示された圧倒的能力と同程度の能力を謳歌できなかった。未だに安定を回復するには決定的な役割を行うのは兵士である。 個々の、または小さな部隊で行動する歩兵が圧倒的能力の技術的要件を確立するには研究が必要である。歩兵を決定的な武器にするには、どのような技術的および組織的能力が必要か?変化する、不確実で、複雑な将来の環境において、それらの歩兵が決定的であり続けるためには、どのような技術が役立つか? 研究はシステム工学の歩兵や小規模部隊への適用性を調べ、同様に、兵士を決定的にすることに関連する技術分野への適用性、この分野では特に私たちが今日も犠牲者を出している(接触への移動と遭遇の可能性)が、を検討する。考慮される技術領域には、状況認識、武器、機動性、および 保護、戦場環境への適応(衣服、冷却など)、通信、 ネットワーキング、ヒューマン ダイナミクス (例: 物理的、認知的、行動的)、および後方支援 (例: 医療援助、食料、水、エネルギー)が含まれる。NRC(国家研究会議:national research council) は、これらの要件を検討するための特別研究委員会を設立する。 この委員会は:1. 歩兵が戦場で決定的な武器になるために必要な圧倒的要素を決定する。個々の兵士と小隊(分隊サイズ以下)の一部としての歩の両方を考慮する。2. 歩兵と小規模ユニットが戦場で圧倒的な能力を獲得するため最適な技術的要件を特定する。現在および将来の両方において、米軍と敵の間のバランスに影響を与える可能性のある技術と社会の傾向を考慮する。3. 新たな、あるいは増加した科学技術的投資が決定的な歩兵の能力の開発を促進するような、短期、中期、および長期の技術を特定する。 4. 将来の戦場において兵士に決定を下させる上で、そのような投資の相対的な重要性を決定する。』
JF Kennedy元大統領の剖検書も公表されていますし、Journal of Traumaという雑誌には外傷起点も含めた論文が記載されています。本来探求されるべき最優先課題の一つが、多くのマスコミ報道によって犯人の背景や統一教会問題などに埋もれさせられてしまい、核心がぼやけてしまっています。元元首の死因の探求ということを家族の意思に頼らず、国家として明らかにすることは自由主義社会の責任と義務であると思われます。青山議員の活動は国会議員として当然の職責であり、今後のさらなる探求を望む次第である。
「聞く力」とは迎合したり、阿ることではない。組織運営においては、敢えて聞かずに、「聞き流す」もしくは「聞捨てる」ことも必要である。「聞く力」は指揮命令系統の要素の中では恐らく、Flexibilityの範疇に入ると思われる。Flexibility、融通性とは相手の話を聞き、組織として5Cを図ることである。しかしながら、最近の岸田総理の在り方を見るにつけ、総理の意味する「聞く力」はFlexibilityではなく、「pander to the public(世に媚びる)or cater to the public(世に阿る)」のように感じられるのは私だけであろうか。