どさくさに紛れて法律が捻じ曲げられていく。緊急事態だからと言って『歯科医』の筋肉注射という医療行為を十分な議論のないまま実施した。

 歯科医によるワクチン接種が始まった。厚生労働省は平成8年に行った「歯科口腔外科に関する検討会」で歯科口腔外科の医療領域について、標榜診療科としての歯科口腔外科の診療領域の対象は、原則として、口唇(頬粘膜、上下歯槽、硬口蓋、舌の前2/3)、口腔底(軟口蓋、顎骨(顎関節を含む)、唾液腺(耳下腺を除く))としていたし、また臨床現場からしても、歯科医師による筋肉内注射は明らかに医師法・歯科医師法に抵触すると思われる。それでは何故このような違法行為が許されたのであろうか?

 令和3年4月26日厚生労働省医政局・厚生労働省歯科保健課・厚生労働省健康局予防接種室が都道府県・市町村・特別区に宛てた『新型コロナウィルス感染症に係るワクチン接種のための筋肉内注射の歯科医師による実施について』の中の『歯科医師によるワクチン接種のための筋肉内注射の実施に係る法的整理について』の通達では次のように記載されている。

 違法性阻却の可否は個別具体的に判断されるものであるが、歯科医師は、その養成課程において、筋肉内注射に関する基本的な教育を受けており、また、口腔外科や歯科麻酔の領域では実際に筋肉内注射を行うことがあることを踏まえると、必要な医師や看護師等が確保できないことを理由に特設会場におけるワクチン接種が実施できないような場合においては、少なくとも下記の条件の下でワクチン接種のための筋肉内注射を歯科医師が行うことは、公衆衛生上の観点からやむを得ないものとして、医師法第 17 条との関係では違法性が阻却され得るものと考えられる。

 この文脈の中で重要な部分は『必要な医師や看護師等が確保できないことを理由に特設会場におけるワクチン接種が実施できないような場合においては』という部分である。すなわち、医師・看護師の獲得にどの程度奔走したのか、本当に歯科医に依存しなければワクチン接種が不可能だったのか?という点であり、医師・看護師の分布の地域格差も含め極めて主観的である。BLSが普及した現在であるが、一般人の心肺蘇生術施行の際にも最初に確認すべきことは『お医者さんいませんよね?』である。つまり、緊急事態だから許される行為であり、医療行為ではない。今回の歯科医による筋肉注射はこれと同様に緊急事態だから、例外だよ、と言っているに過ぎない。この通達では歯科医の筋肉注射は医療行為としてではなく、緊急事態回避のために行う緊急処置であり、一般人のトリアージや心肺蘇生術と同様の扱いとなり、もし過誤が起れば法的には緊急事務管理が適用されるのである。このような解釈をされれば、歯科医師の加入している医療過誤保険の適用は歯科医の生業に関するものであり、生業とは言えない緊急処置には適用されない可能性は十分にあると考えられる。

 今回の4月26日付けの文章は法的な解釈を述べた通達に過ぎず、あくまでこの時点のこの通達を出した人達の解釈であり、これをもって歯科医師による筋肉注射に法的な正当性を担保したものではない。さらに、歯科医師はアナフィラキシーショックやアレルギーに対して生業として医療行為はできないし、また、その訓練や教育も乏しいため、副反応に対してたとえ現場にいたとしても歯科医師としてなすすべがない。緊急事態だからと言って、勝手な法律解釈をし、歯科医師を法的に守るようなしっかりした議論のないまま、既成事実が進んでいることは、本当に恐ろしい時代である。歯科医師は筋肉注射による自らへの実害がでない前に。法律的な運用を行うよう、厚労省や政府に声を挙げるべきである。

中川日本医師会長は医師というより政治家

 日本医師会中川会長が先月20日に都内で開かれてた政治資金パーティに発起人として参加していた問題で某番組にクレームが殺到していた、という報道の中で、その理由として『「番組終了後、スタッフたちがA氏にどうして中川氏を擁護したのか問い正したところ、A氏は日本医師会の会員だと自白。さらに『医師会から学校診療の仕事を回してもらっているので、悪いことは言えない』と。いつもお世話になっているA氏を悪く言えないですが、日本医師会の無言のプレッシャーがあることを実感しましたね」』とコメントが書かれていた。

 今回の中川医師会長の件は当然批判されるべきことである。新型コロナ医療対応を支える医師会長という立場からだけではなく、医師個人としても自ら感染を拡大する行動は控えるべきという医療職としての自覚の面からもあり得ない話である。

 この件は医師会自体の評判を貶め国民の信頼を失うばかりではなく、真剣に現場を支えている医師にとっても大きなマイナスとなる。さらに情けないのは、このような明らかな不祥事に対して、学識経験者として意見を期待されているコメンテーターが正論を言わないことである。日頃正論らしい正論をもっともらしく述べているにも拘わらず、身の保身から正論を言わずに、同じ医師には甘い体質と言わざるを得ない。嘆かわしい一方、そのような輩にコメンテーターを依頼している番組自体もその見識は非常に疑わしい。

 資本主義社会では医師会も一つの職業互助組織団体であるから、政治家資金パーティへの参加の良し悪しは問わない。しかし、それにしても中川医師会長はこの時期に政治家の資金パーティの発起人である必要があったのであろうか?確かに医師会は医師会員全員のための利益を代表しての政治活動は必要であるが、今回の新型コロナ対応では、それ以前に医師の職業理念が優先すべきと思われる。この職業理念の崇高さのおかげで国民から信頼されているのであり、今回の中川医師会長の所業はそれを著しく損なうものであり、今後中川医師会長の発言に耳を固めける国民はなくなることを憂いでいるし、今後の新型コロナ医療対応に支障が出ないよう祈るばかりである。

またまた海自の不祥事?作戦実践能力はあるのか?本来の実力が問われている。

2021年5月7日『玄界灘上で海自掃海艇と漁船が衝突、けが人なし…防衛相「再発防止に取り組む」』という報道があった。その中で、『岸防衛相は7日夜、記者団に「民間漁船との衝突事故を重く受け止め、原因の究明と再発防止に取り組む」と語った。』という一文に注目した。不祥事の度に同様の発言をお題目のように繰り返し、同様の事案が短期間に繰り返され、あきれるばかりである。

 ブログ2月21日に『自衛隊は自らの力で、本当に事故検証が出来、かつ、それが生かされているのか?』と題して自衛隊自らの検証能力に疑義を投げかけたが、正に検証能力ばかりか、検証結果を実践する能力まで不足していると思われる事態である。

 確かに、ワクチン接種に自衛隊の活用など政府によって便利屋的な使われ方をされてしまっている傾向はあるが、国を守ることは国民を守ることと考えれば、ワクチン接種も国防の一環と言っても差し支えないと考えられる。むしろ問題・課題は、任務を正しく迅速に実践できるかの技術・能力の有無が問われている。国や国民を本当に守ることができるのか、防衛費や装備や設備の豪華さではなく、真の実力が問われている。

オリンピック開催・中止論はもはや菅総理・小池都知事のパフォーマンス劇場

 オリンピック中止に関して、二階自民党幹事長小池都知事から中止論や再延期論が出始めてきた。さらに政府寄りの発言の目立っていた尾身政府コロナ分科会会長も議論すべき時期に来ている、とここにきてようやく言い出した。『人類が新型コロナウィルスに打ち勝ったという証』という標語を掲げ、オリンピック遂行に政治生命をかけている菅総理とあまりにも対照的である。

 とどまらない感染の蔓延は医療の逼迫だけではなく、全体主義が個人主義を駆逐するような勢いで個人の自由を束縛しても構わないような法律改正を推し進めている。オリンピックの意義を認めている一方で、誰もがこの現状を考えれば、オリンピックに浮かれている状況ではないし、また、オリンピックのために医療資源を含めた社会資源を投入すべき状況ではないことは分かり切っている。

 また、『新型ウィルスに打ち勝った証』という標語も学問的には小首(頭)をかしげるしかない。1980年に世界保健機構が天然痘撲滅宣を天然痘ウィルスに対して出せただけで、人類は未だにウィルスを含めた多くの微生物と戦い続けている状態である。人類は、未だにウィルスには打ち勝てるような状況ではないし、打ち勝つよりも共生を図る方が医学的には正しい場合もある。

 オリンピックの開催論・中止論は、もはやオリンピックの理念や日本国国民のためではなく、正に政治家個人のパフォーマンス劇場に成り下がってしまっている。どちらが正しいか、あるいは、国民のためか、ではなく、どちらの政治パフォーマンスが今後の政局を担えるかの問題にすり替わっている。開催した場合の菅総理、開催中止をもくろむ小池都知事の政治ショーを毎日のように見せられている我々はただただ政治不信が増すばかりである。日本に大志を抱いた真の政治家がいなくなってしまったことがオリンピック開催の是非の迷走の主因と考えられる。

 軍事的な抑止力だけでは尖閣は守れない

『政府、尖閣上陸阻止で「危害射撃」可能 中国公船を念頭に 見解』という報道があった。記事では、「危害射撃」という警察官職務執行法ではなく、中国が施行した海警局の武器使用規定を明文化した「海警法」への対抗策が必要という、いわば、交戦規程に係る法律論が主な論点であった。突き詰めれば、自衛隊が「軍隊」ではないため、既存の法律の拡大解釈で、中国の軍隊に対する方策を絞り出している現状から生まれた議論や結果である。

 確かに中国の軍事的な圧力に対しての軍事的な抑止力は必要不可欠である。しかしながら、以前から主張しているように、軍事力は軍事的な装備や能力だけで評価されるべきものではない。戦闘に参加する者、巻き込まれる可能性のある者、さらに、敵国や難民に対する医療が軍事力を支えている。尖閣という本土から著しく離れた地域からの重傷者搬送体制すら不十分と思われる現在の自衛隊を持つ日本には中国と交戦可能な医療体制を持っているとは考えられない。「軍事力だけでは人は救えない」「国の基礎となる人を救えない者は国を救えない」という当たり前のことが当たり前のように議論されないまま、軍事的な対抗策のみを論じている。

 度重なる中国公船の尖閣領域侵犯では傷病者がいつ発生してもおかしくない状況であるにも拘らず、有事の備えの医療体制の拡大充実を考えていない防衛省・政府関係者は犠牲者が出た時に従来通りの「予想外の出来事」「不測の事態」と言葉を繰り返すのであろうか?もっと真剣に現実的に国防を考える政治家が望まれる。

自衛隊は自らの力で、本当に事故検証が出来、かつ、それが生かされているのか?

 2月20日『空自隊員が戦闘機パイロット訓練中墜落死』という報道があった。報道では『岸信夫防衛相は防衛省で記者会見し、「痛恨の極み。このような事案が再び発生しないように万全を期していきたい」と述べた。』とある。

 2018年10月2日のフィリッピンでの自衛隊の事故に関して、⻘⽊伸⼀⽔陸起動団⻑は『痛恨の極み、前原 2 曹のご冥福を⼼からお祈り申し上げる。今後とも訓練の安全管理に万全を期す』と同じような言葉を述べている。

 2019年4月9日起こったF35a戦闘機の事故は『パイロットの平衡感覚喪失にともなう人的要因の疑いが強い』と発表したが、空間認知失調とほぼ断定し、何故飛行経験を積んだパイロットがこの時に空間失調が起ったのか等詳細が検討されていないため、今後の十分な対策を論じていない。

 また、本年2月9日の潜水艦衝突事故の報道でも、岸防衛大臣は『事故の原因は現在、海上保安庁が調査中で、防衛省・自衛隊として全面的に協力していく」と述べるとともに、海上幕僚監部に事故調査委員会を設置し、事故の原因究明と再発防止に全力をあげる』と述べているが、詳細は未だ発表されていない。

 生命危機をもたらすような事故がある度に、『万全を期す』という定型句を聞かされているが、本当に十分な検証が行われ、その結果が現場に生かされているのであろうか?軍事機密あるいじゃ国家秘密という名の下の隠ぺい体質で、客観性を持った検証が行われていないとしか思えない、昨今の事故の多発である。

『海自潜水艦、貨物船と衝突』の原因は見張りのミス?? これで国の安全は守れるのか?

 『海自潜水艦、貨物船と衝突』という報道の中に、『通常、潜水艦が浮上する際は、海面に船舶がいないかどうかを潜望鏡やソナーで事前に確認する。海保や自衛隊が原因を確認中だが、海自幹部は「船から潜水艦は見えず、絶対にあってはならない事故。ソナーなどによる見張りにミスがあったのではないか」と話した。』とあった。これが事実なら、あまりにお粗末な話である。

 潜水艦は『「究極のステルス兵器」とも称されるように、潜航時の隠密性が非常に高く、情報収集や急所をつくための戦略兵器としても重宝されている』ものであるため、貨物船から見えるはずがなく(逆に、もし貨物船から見えるようなら潜水艦本来の機能を果たせていないに等しいが)、潜水艦に回避義務があると一般的には考えられる。

 潜水艦の目的として、待ち伏せ攻撃、通商破壊、自国周辺海域での哨戒任務、敵港湾基地に侵入しての偵察任務、敵制海権下での機雷敷設、敵勢力下での物資運搬、特殊部隊揚陸、が挙げられる。四方を海で囲まれた日本の防衛には、潜水艦はその目的からしても重要な事は論を待たないし、最近尖閣諸島への領海侵犯を繰り返す中国への抑止力としてさらに重要性が増している。そのような重要な任務を持った潜水艦の乗組員がお粗末では、日本の海は安全とは言えない。徹底的な原因究明と対策が望まれる。

新型コロナウィルス抗体保有率と推測される「知らずに感染し、自然治癒していた人」:市中感染症の可能性大

 新型コロナウィルス保有率は2020年6月のデータでは、東京0.10%(一般人1,971名対象)、大阪0.17%(一般人2,970名対象)、宮城0.03%(一般人3,009名対象)であった。この結果から、『新型コロナウイルス感染者の累積数と比べると、抗体保有率はやや高くなっており、この差は「知らずに感染し、自然治癒していた人」と考えることができる。▼東京都の人口を1400万人とすると、8700人程度(抗体保有率0.10%-累積感染者割合0.038%=0.062%)▼大阪府の人口を890万人とすると、1万3000人程度(抗体保有率0.17-累積感染者割合同0.02%=0.15%)▼宮城県の人口を260万人とすると、700人程度(抗体保有率0.03-累積感染者割合0.004%=0.026%)―のみが、「既に感染して自然治癒し、一定の耐性を持っている」と考えることができる。』と推測している。

 2020年12月のデータでは、東京0.91%(一般人3,399名対象)、大阪0.58%(一般人2,746名対象)、宮城0.14%(一般人2,746名対象)であった12月時点での累計患者数は東京41,302名、大阪20,657名、宮城1,221名であったので、12月の累積患者割合は東京0.30%、大阪0.23%、宮城0.05%であり、上記同様の計算法を用いると、「知らずに感染し、自然治癒していた人」は東京85,400人、大阪31,150人、宮城2,340人と推測できる。

 『理論的には人口の60〜70%が抗体を持つと集団免疫ができると言われている。田村憲久厚労相は五日の閣議後記者会見で「(今回の調査結果は)1%足らずなので、集団免疫というような話ではない。』と報道されているように、集団免疫獲得の一側面だけが強調されているが、「既に感染して自然治癒し、一定の耐性を持っている」人の増加は『知らずに感染し、自然治癒していた人』を意味しており、市中感染を十分に予測される推測数に達しており、単純な居酒屋規制や行動制限ではなく、もっと高い次元からの全国的な公衆衛生学的アプローチが必要とされる時期に来ていると思われる。

『人類が新型コロナに打ち勝つ』という発想が『新型コロナウィルス』対策の後手後手の源

 菅義偉首相は1月18日午後の衆参両院本会議で施政方針演説の中で『夏の東京オリンピック・パラリンピックは「人類が新型コロナに打ち勝った証し」として「世界中に希望と勇気をお届けできる大会を実現するとの決意の下、準備を進める」と語った。』との報道があった。この言葉に実に違和感がある。 

 ウィルスは人類同様自然界に存在し、人類はインフルエンザウィルスも含め、従来から様々な影響を受けてきた。すなわち、ウィルスの発生増殖は自然現象とも言える。天然痘のように世界撲滅宣言が出された感染症もあるが、感染症が世界から撲滅されることは一般的には稀である。

 新型コロナウィルスは現時点で根本的な抗ウィルス剤がない限り根本治療は不可能であり、重症者には人間の自然治癒力を期待しつつ、生命維持装置にて支持療法を行っている。ワクチンがさも特効薬のように巷で報道されているが、これとて人間自体の免疫力に依存しているものであり、特効薬というより予防・軽減策である。学問的に考えた場合、根本治療薬が開発されない限り『新型コロナに打ち勝つ』ことは、不可能であり、如何に新型コロナウィルスと共存していくか、また、如何に重症化を防ぐか、が望まれている。すなわち、感染するか否かよりも、重症化を如何に防ぐかが喫緊の課題と言える。

 新型コロナウィルスを絶滅できない以上、対策の中心にするべきは、あくまで感染の動向を見据えた長期的な展望と戦略であり、感染対策と全く無関係な『オリンピックを新型コロナウィルスに打ち勝った証』という態度は、オリンピックを行うための詭弁にしか聞こえない。

特措法改定で罰則規定を設ける事にはもっと踏み込んだ議論が必要である

 特措法に関しては、『法律の適用対象や適用時期を区切ることで、いわゆる「狙い撃ち」が可能となることが考えられ、これが日本国憲法第14条に定められている平等原則に違反するかも問題となる。』が『立法府と行政府の関係が決定的に破壊されることがない場合においては、当該立法がただちに権力分立に違反するものではないとする。』『平等原則に関しても、当該立法が社会国家の要請に基づく実質的合理的な取り扱いの違いを設定する趣旨のものであれば、これがただちに平等原則に違反するものではないとする。』との解釈がある。

 法律的な解釈を論議すべきことも重要であるが、一般的には『公共の利益を守るため、個人の権利を制限する』という考え方をどこまで認容するか?が大問題である。倫理でも『二重忠誠』の問題、つまり、公共の利益を優先するか、個人を優先するか、は常に問題になっており、答えは常に一様ではない。また、民主主義の多数決は決して少数者を擁護しないからこそ、少数者を慮る必要がある。

 飲食店や居酒屋の営業を行い生計を立てることは憲法で保障されている基本的人権である。これに対して、特措法を改定して自粛要請ではなく、罰則を伴った自粛強制にするのであれば、COVID-19の感染源として飲食店や居酒屋が明らかに感染源となっている科学的証拠を示すべきであろう。当初、目の敵にされたパチンコ店は本当に感染源として科学的な証拠に基づく措置であったのであろうか?単に人が密になるという曖昧な感情や推測に基づいて言われたのではないと断言できるのであろうか?。当時を振り返ると、政府や行政組織、一部の政治家やマスコミに煽られた感は否めないし、今回も同じ臭いや風潮が感じ取れる。先日紹介したrapid expert consultation on understanding causes of health care worker deaths due to COVID-19 pandemic(December 10,2020)の中で『Duke University Health System(北カルフォルニア)の前向き研究では、38%が市中肺炎、22%が医療関連、40%が不明であった。院内感染の内、70%が他の医療従事者に対するマスクをしない暴露であり、30%がCOVID-19患者の直接ケアによるものと判断された。』という報告からは、もはや飲食店や居酒屋が主なターゲットではなくなっていると考えられる。一方、我国ではこのような科学的データが一切公表されず、ただ漫然と感染者と重症者の数のみが公表されて、毎日毎日増えた!増えた!と危機感のみが煽られている。

 悪行をなしている訳でもなく、ただ生計を立てているに過ぎない日常の生活行動そのものが、公共の利益という名の下に、『悪』のように世間で評価判断されてしまっている飲食店や居酒屋の昨今である。マスコミも連日のように飲食店や居酒屋の功罪を取り挙げて市民を煽り、自粛要請を断った飲食店や居酒屋を『悪』と決めつけ一部の政治家は声高に特措法に罰則規定の盛り込みを叫んでいる。

 しかしながら、特措法自体は個人の生活権を奪う可能性があり、まして営業自粛要請拒否に罰則を課すとなればさらに個人の権利を著しく奪う行為になる。当然のことながら、政府や政治家に絶対的な信用信頼があってこそ、実践できるものである。支持率低下に踊らされ右往左往している政府、公共の利益のみで個人の権利を訴えないマスコミ、に煽られず、冷静な議論が今こそ必要である。特措法に罰則規定を盛り込めば、例えば、COVID-19患者の入院要請を断る医療機関に罰則規定を適用するなど、あらゆる機関や組織に、『公共のため』という大義名分の下、足枷手枷がはめられ、政府に従わないものは『悪』という事態を招きかねず、極論すれば第二次世界大戦時の風潮に似たものになってしまう危険がある。

 1924年大政翼賛会と新聞社が国民決意の標語を募集した大東和戦争一周年記念の企画で選ばれた戦時中の有名な標語『欲しがりません勝つまでは』が独り歩きを始め、当時の政府に踊らされ、悲惨な戦争に走らされた我国である。政府や一部の政治家、マスコミの踊らされ過ぎてしまって国家の安定と秩序の崩壊が生まれた時代を忘れてはいけない。

 特措法に罰則規定を加えるを与党野党共にあまりにも性急に来年早々には発令されるかのような展開であるが、市民はこれに踊らされず、冷静な議論を要望すべきである。